このところウェブの作業で力み過ぎたのか、普段は全くない肩凝りに悩まされていたのですが(ヘアサロンでマッサージを受ける時に毎回驚かれるほど肩が凝らない体質のようです、笑)、仕事の内容を切り替えてみたらあっという間に回復しました。同じパソコンを使う作業でも内容が変わるだけで筋肉や眼の使い方が大きく変わるというのを身を持って証明した次第。
昨日からCNNはスティーブ・ジョブスの訃報に関する話題が続いています(アマンダ・ノックスの判決、マイケル・ジャクソンの医師の公判のニュースは吹き飛んでしまいました)。彼の死を残念に思うのはもちろんのことですが、景気後退・雇用不安に伴って従来の経済システムへの不信感が高まり、このところ急速に自信を喪失しつつあるアメリカで、彼らが現在胸を張って世界に誇れる稀有な英雄をまた一人失ってしまった、そのことに対して色々と考えさせられる次第です。
ジョブス本人についての思い、功績などについては門外漢の僕があれこれ書くのは控えますが(僕はMac以外のApple製品に関しては全くの音痴です)、20代の頃繰り返し見た、若き日のジョブスとゲイツを描いた映画「パイレーツ・オブ・シリコンバレー」をふと思い出しました。この映画、タイトルからも察することが出来るように、二人に対しての皮肉やスキャンダル的な視点も込められてはいますが(映画「ソーシャル・ネットワーク」はその現代版と言えるでしょう)、僕はその視点や映画としての出来よりもずっと、若き2人(4人+α)の起業物語としてインスパイアされるものの方が大きかったのですね。
中身は実際にご覧になって頂くことをお薦めしますが、二人が超がつくほどの逸材であったことは大前提ながらも、ああいう奇跡の連続の様な出来事が起こる素地・気運は、世界中もしくは歴史の中のどこを探しても当時のアメリカ、特に西海岸という「点」でしか考えられなかったことだと思います。そういう意味ではこの映画を見て焚き付けされる部分がありつつも、自分の生まれ育った日本という国が何から何まで(これを具体的に網羅しても全く生産的でないのでやめます)それとは180度違うことを認識させられるばかりで、勝手ながらも歯痒い気持ちにさせられたことを覚えています(今は「歯痒くて当たり前」と割り切った上で、事に取り組めるようになりましたが)。
先程のCNNでもこの半年間「アメリカン・ドリームは終わったのか」というテーマが頻繁に取り上げられているように、アメリカ自身が自分達の誇りとする「何から何まで」の変質に不安と恐怖を抱く時代になりました。以前紹介した野口 悠紀雄氏「アメリカ型成功者の物語」に書かれているような風土や状況は徐々に過去のものになり、今や「チャイニーズ・ドリーム」という言葉の方を耳にすることが多い中(残念ながら、どんなに繁栄した時期でも「ジャパニーズ」と「ドリーム」が一緒に使われることはごく稀でしたが)、成功のありようはさておき、また場所はどこであれ(これからますます物理的な場所とは関係のない問題になるでしょう)、個人の潜在的な力を信じ形にしていくことに夢が持てる可能性、またそういったスピリット・行動原理自体が世界から、というより人々の頭と心の中から消えていくことがないようにしたいものです。