少し間が空いてしまいましたが、このところ急に夜の冷え込みが厳しくなってきましたね。今年もあと少しですから風邪など引かずに頑張りましょう。
日本の英語教材ではあまりお目にかからない単語達
僕の方はCMの制作も無事終わり、今日は色々と調べ物や準備作業をしていました。音楽の仕事にしてもウェブ周りにしても僕は海外の掲示板で調べることが多いのですが、そういう場所ではニュースサイトなどとはまた違ったタイプの、「本音のコミュニケーション」が繰り広げられるので、一般的な日本の英語教材ではあまりお目にかからない単語に自ずと遭遇することになります(とはいえ、スラングの類ではありません)。例えば…
killjoy (興ざめな人)、sure-fire (必ず上手く行く)、layman (素人)、fabricate (でっち上げる)、fixture (常連、定番)、adamant (頑固な)、platitude (決まり文句)、flop (ポシャる、コケる), go-to (頼りになる)、boggle (ひるむ), scam (インチキ、悪徳)、tapped out (金欠の)等など。
割とネガティブな言葉も多いですが(笑)、これはネットならでは、というよりも、人間否定的な表現を使う場面には饒舌になりやすいということを表しているのかも知れません。もちろん褒め言葉にも様々な表現があり、いつも great や amazing, awesome では会話が貧弱になってくるので、状況に応じて細かく使い分けられるに越したことはないのですが、まあ誰でも great と言われて嫌な気がする人はいないですからね。
メールでのやり取りでも僕にとってはあまり馴染みのない表現に時折出くわすことがあるので、結構勉強になります。先日LAの友人のメールに、”Maybe that’s a reach, but…(難しいかも知れないけど)” とあったのですが、こういう reach の使い方は非ネイティブの人からはあまりポンとは出てこない表現です。
当然ながら、試験の英語は、現実社会とは「異次元」の英語
ところで、ここ最近日本でも英語を公用語にする企業が突如現れたりで、英語に対する強迫観念の様なものがますます強まって来ているような気がします。上手く建設的な意欲に結びつくならば、そのこと自体は必ずしも悪いことではないとは思うのですが、メディアや広告などを見ていると、何故かそれがどこかで「英語の勉強をする」=「TOEICや英検の勉強をする」、もしくは「英語が得意」=「TOEICが高得点である」という認識に歪曲されてしまう風潮があることに違和感を覚えます。
もちろんある程度の英語力が備わってなければTOEICであれ何であれ試験で高スコアを上げることは出来ないでしょうが、そのことと英語で海外の人と実際にコミュニケーションを円滑に取れることとは「関係がない」、のではなくて、「全く次元の違う話」です。点を稼げればコミュニケーションの積極性が増すという方もいるかも知れませんが、英語でやり取りしなければならない必然性や動機自体が希薄なまま、学問や教養のように英語を対象化・二次元化して扱って(もしくは教えて)しまうと、「試験の点が良くないと海外の人とやり取りしてはいけないんじゃないか?」という、実際にコミュニケーションを取らなければならない相手先からは全く理解できないコンプレックスや強迫観念を、行動に漕ぎ出す前から(国内で/自分の中に)抱えて萎縮してしまう奇妙な事態にもつながります。本当の萎縮や失敗はその先の現実的なコミュニケーションで沢山遭遇しますし、そこで学ぶ・覚えることの方が遥かに大きいですから、ずっと手前の段階でひるんだり、限られた世界での特殊な競争意識に必要以上に駆り立てられるのは、時間的にも精神的にも好ましいとは言えないように感じます。
(学生時代の国語の成績や漢字の試験とその後の社会生活(もしくは「世渡り」、笑)との相関性を考えてみたら、そのような強迫観念は問題のベクトルが全く別を向いてしまっているということがよく理解できるのではないでしょうか?)
個人的にはそういった試験の存在自体を否定するつもりは毛頭ありませんが、自分なりの動機と取り組み方を明確にした上で「フラットに」利用し、英語を習得する意味や達成感を見失わないようにしたいものですね。過度の「お勉強」が現実のコミュニケーションで必要な「度胸」はもちろんのこと、自分の可能性や意欲までをも奪ってしまっては元も子もありません。
最後に、Youtube のCaptain Funk ページに”Heavy Metal” 収録の “Butterfly (feat. Raj Ramayya)” をアップしましたので、お楽しみ下さい。それでは皆さん、よい週末を!