長らくこのfindingsを読んで頂いている皆さんならば、音楽や洋服に並んで、いやそれ以上に僕が本屋に行くことが好きな事を既にご存知かも知れませんが、この数年自分がピンと来る新刊に出会う機会が本当に減りました。「なぜ○○なのか」のタイトルラッシュは既にピークを過ぎたとはいえ、新書にしろビジネス書にしろ、自分の興味の持てるテーマを持った本があまり見つからず、立ち読みする気も起こらずに本屋を後にすることが多くなっています。
これは自分の興味範囲がより狭くなったこともあるのでしょうが(”鋭くなった”と解釈したい、笑)、説得力を感じる濃い内容の本が出版される割合が減ってきて、より短期の衝動買いを迫る、タイトルだけで売り抜けることを目指した、薄い内容の拙速な出版物が増えていることも起因しているような気がします。本の売れ行きが低迷している時代にあって、この様な戦略は短期的なキャッシュフローを生み出すという意味である程度功を奏することは分かりますが、少なくとも自分はそういう主旨(スケベ心ともいう)で書かれた本には興味が沸かないので、スルーする頻度が高くなってしまうだけなんですよね。もしかすると、自分がそういうベストセラーばかりが目に付く本屋に行く傾向が高いのかも知れませんが…。
今日はたまたま本について考えましたが、音楽も業界の動向としては同じ様な道を辿っているとも言えなくもないですから、こういう時代こそ、丁寧に耐久性のある作品を作ることを心がけたいなと思う次第です。作家性とか個性ももちろん大事ですが、僕個人はそれと同時に、一定以上の「クオリティ」とか「満足の耐久度」も非常に大事な要素だと思っているんですね。表現であると同時に、僕らが生み出しているものは”プロダクト”でもありますから。
こういう話の延長上で、よく評論や表現に関わる人の間で「客に媚びる、媚びない」という議論が出てきますが、僕はエンターテインメントやサービスの仕事に関わる人間が、媚びる媚びないレベルで是非を議論しているのは、厳しいけどアマチュア臭いと感じます。表現へのこだわりやクオリティと自己愛(ナルシシズム)、自己保全とは全く異質のものだし、その手の葛藤は初期段階でとうに乗り越えていなければいけない(昇華されていないければいけない)課題ですからね。「サービス」と媚びを混同、もしくは同一視出来てしまうようなサービスを送り手側も行ってはいけないとも言えますけど。
そんな事を考えながら、読み応えのあるボブ・トマス「ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯」をご紹介してまた来週です!「サービスと創造の鬼」から得られる事は多いですが、古い本なので書店で見つけるのは難しいかな…(追記「完全復刻版」が販売されています)。