Hand is Thinking(手が考えてくれている)
僕はこの4,5年は同じ型のノートを色違いで5種類位に分けて併用していて、それぞれ違ったテーマに沿って色々と書き留めています。考える作業においては、やはり「手で紙に書いて考える」という作業は僕にとっては必要不可欠です。頭で考えると言うよりも、「手が考えてくれている」感じになる時すらあります。
僕はこの4,5年は同じ型のノートを色違いで5種類位に分けて併用していて、それぞれ違ったテーマに沿って色々と書き留めています。考える作業においては、やはり「手で紙に書いて考える」という作業は僕にとっては必要不可欠です。頭で考えると言うよりも、「手が考えてくれている」感じになる時すらあります。
「仕事を生む仕組み」を創ること、仕事を面白くする環境を創ることは、作品そのものを創ることや外から見える(結果としての)仕事と同じく、もしくはそれ以上にクリエイティビティとエネルギーが必要で、魅力的な作業です。そういう意味で、僕はいわゆる「クリエイティブ」と言われる業種以外でのクリエイティビティにも非常に興味を持っています。
今はミュージシャンも360度自分で考え行動しなくてはいけない自立の時代。長く音楽を生業としていくためには、周囲との関係を大切にしつつも、自分も周囲も共に成長できるような環境作りをミュージシャン本人が率先して考える必要がますます高まっていると思います。
韓国の大手サイトCyworld(サイワールド)にShibuya Chart というのがあって、発売直後の3/23、”Weekend”が1位になったそうです。僕にとってはこの曲が韓国での初めてのリリースなので、まずはCaptain Funk という名前に馴染んで頂けたらと思っていたところに、こういった嬉しいレスポンスを頂けることを心から嬉しく思います。
ゴールドラッシュの時に一番儲けたのは金脈を掘り当てた人ではなく、金脈を掘る道具を提供した者、もしくはその作業着(デニム)を提供した者だったという話はよく言われますが、今回のソーシャル・ネットワーキング・ラッシュやフリーミアムを巡る一連の盛り上がりも、それと似たような現象に見えます。
あらゆる音楽は、一度「ブルース化」すると、今度は受け手側の変化が送り手側に新たな息吹を与えて「次のブルース」へと進化させる。送り手と受け手の相互作用があるお陰で音楽は耐久性のあるもの、強度の強いものに洗練されていきます。
「旧メディアは自分で船を焼いて退路を絶て。正気でないように見えるリスクを冒すことが必要な事態なのだ」。僕はこのマーク・アンドリーセンのコメントの主語を、「自分」と置き換えて行動することが時に必要ではないかと思います。他力本願になりがちな文化輸出の話も含めて、自分でリスクを踏むことの大事さについて。
広告やCMで音楽制作をする場合の心構えについて。自分はクライアントの課題を解決する「聴覚担当」だと考えていて、音楽的であること、音を鳴らすことを最優先で考えることはしません。そこが普段のアーティスト活動や作曲活動とはかなり違うところかなと思います。
怒り、葛藤、クエスチョンは創作の動機として欠かせない要素です。最高に洗練された仕事、最高に人を幸せにする仕事は、ゴツゴツの感情のマグマが昇華された産物である。そんなことを、先日亡くなった「怒りをエレガントに昇華した人」、アレキサンダー・マックイーンの作品を振り返りながら考えました。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/6 水曜日
ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」という自惚れ極まりない(笑)名言を残した。僕を含めて現代を生きる日本人が「盗み」や「略奪」に感じる罪悪感や非難の感情は、世界のモラル基準からするとむしろ特殊なのだと思う。国を出れば、「僕のものは僕のもの。君のものも僕のもの。」と言わんばかりの考え方の人が多いくらい。略奪世界をしなやかに生き抜くことが21世紀の必修科目。ん、近代に戻ったのか…。
マンハッタンのチャイナ・タウンに売っているもので我が家の定番になったものが2つある。一つはロースト・ダックで、注文するとお店のスタッフがその場で四角い中華包丁を使い豪快にカットしてくれる。もう一つは「老干媽(ローカンマ)」というブランドのラー油。実は大型スーパーならどこでも手に入る人気商品だったのだが、もう普通のラー油には戻れないという位にお世話になった。その後ロースト・ダックからは遠ざかり、低脂肪なカオマンガイ派に。
音楽はもちろん大好きだけど、YouTube等でよく話題に上る「バカテク(超絶技巧)系」のミュージシャンや動画には殆ど縁がない。テクニック自体を否定しているわけではなくて、「その音世界を形にするためにその技術が必要なのであれば」、という必然性で見ている。ただ、動画中心の文化が根付いてしまったお陰で、耳の持つ潜在的な想像力や感受性よりも、見た目のインパクトや派手さが優先されがちなことに、少し寂しさを感じる。