音楽のクオリティ、クオンティティ、そしてエモーション
本当のプロとしてキャリアを開拓し人生を全うするには、アーティストであれコンポーザーであれ、多様性/多作である事とクオリティは、どちらが優先されるという問題ではなくて、どちらもマストの「両輪」に過ぎないという確信に至りました。
本当のプロとしてキャリアを開拓し人生を全うするには、アーティストであれコンポーザーであれ、多様性/多作である事とクオリティは、どちらが優先されるという問題ではなくて、どちらもマストの「両輪」に過ぎないという確信に至りました。
映画音楽のクオリティは、つまるところ映画監督と作曲家がどれだけ相手を信頼しているかという人間関係によって決まるのではないでしょうか?この十年近く、映画音楽の世界で頭角を表しているクリント・マンセルの作品を中心に、「良い創作を生む人間関係」について考察していきます。
楽曲の様々なバージョンを作ることは、それぞれのニーズに応えるという実務面だけでなく、クリエイティブな側面でもメリットがあると言えます。バージョン違いや曲の断片という、いわば「仕掛品」から思わぬ新しいアイデアが生まれることがあるからです。
視覚的な要素が先行して音楽が聴かれる時代にあって、耳だけから世界観や物語を膨らませていく音楽本来の楽しみ方が失われていくのは少し勿体ない気がします。「音楽の伝え方・聴かれ方を考える」こともクリエーションの一環として、積極的に模索すべき時代に差し掛かっているのかも知れません。
「Songs of the Siren」に収録されていた「Original Sin」の新バージョンをアップしました。当時はビッグビートというジャンル名で解釈されましたが、今だと「ロックトロニカ」や「ハイブリッド」、「エピック・ミュージック」の一種と大きく捉えられています。よりフラットな形でこの音楽を楽しんでもらえると嬉しいです。
Model Electronicのウェブサイトをリニューアルしました。音楽ジャンルや名義ではなく、「音楽が聴かれるシチュエーション」によって分類した楽曲ライブラリをフィーチャーしているのが、今回の特徴です。
新年明けましておめでとうございます。このFindings も9回目の新年を迎えました。引き続きよろしくお付き合いお願いします! 昨日は先日少しご紹介した展示会「The Performing Pot of Arts」(場所 […]
音楽は総合力勝負ですから、あまり微細な要素にこだわりすぎると、リスナーの気持ち(耳)に立って大局を掴む眼力が失われることがあるように思います。わざわざ音を悪くする必要はありませんが、「良い音」よりも良い楽曲、エモーションを掻き立てられる音楽を作ることに力点を置くべきだという意見には大いに賛成です。
「インディー」と言うのはそもそも音楽のタイプを指すものではなく、スピリットやアティチュード、運営形態を指すもの、すなわち文字通り「インディペンデント」を意味するものでした。現在は「メジャー系インディー」という奇妙なジャンルすらありますが、自分の場合は語源通りのインディペンデントでありたいと思っています。
Tatsuya Oe Updated: 2024/11/6 水曜日
映画『マネーボール』は出来の良い映画だと思うけど、人と選手の扱い方の点で、アメリカらしい「ドライさ」が心に引っかかる。2025年現在この手法(セイバーメトリクス)を徹底しようと思ったら、当然AIとデータサイエンティストの出番となる。ここから学ぶのは、人間(経営者、マネジャー、株主)>機械(AI、データ)>人間(選手、社員、クリエイター、ユーザー)の三層構造の「危機の夜明け」であって、美談でも他人事でもない。
人間は何かを見たり聞いたりしたとき、その情報の内容よりも、それが自身の命に関わるものかどうかを一瞬で判断する。その仕事を司っている脳の「扁桃体」は、もちろん人間になくてはならないものだけれど、出来ればあまり活動してほしくない時がある。右扁桃体を切除した男性の記事を読んだところによると、「恐怖は思っていたより機械的。他の思考や感情よりも、腹痛や頭痛に近い」(リンク先は興味のある方だけどうぞ)。
知識や知恵は積極的に攻める上での「武器」にもなるし、自分を防衛する「盾」にもなる。無知は人を傷つけ世の中を混乱させる「凶器」と化し、最終的には自らを傷つける。ショッピングモールで凶器をちらつかせる人の行動を予測することは不可能だし、彼の真意を深読みしても無駄。ターゲットから十分に距離をあけて危険を避け、冷静さを保つことが大事だけれど、いつの時代もメディアはモールの実況中継で人々の混乱とパニックを煽る。