「マイクロブログ」はじめました
最近このFindingsのページに立ち寄られた方は、ページの右側に何やらツイッターのような短いつぶやきが更新されているのに気付いたかも知れません。これはツイッターの投稿の転記とかではなくて、このtatsuyaoe.comの中だけで更新している「マイクロブログ」です。
Findingsでは、毎回まとまった文章を書くのが半ばフォーマットになっているので、それとは別に日々の雑記や小さなお知らせをアップする仕組みを作ってみたのです。マイクロブログの方は内容に幅をもたせつつ、より短い頻度で更新していこうと思っています。下記のページで過去の投稿も一覧できるので、時折チェックしてみて下さい。
https://www.tatsuyaoe.com/findings/microblog/
今月仕上がりを目指して次のアルバムを制作中
Captain Funk『Sail and Cruise』のフォローワークもほぼ終わり、現在次の作品の選曲と編集をしています。あるテーマに沿って新旧20曲近くを集めてみて、取捨選択して曲順を入れ替えてみたり、さらに新曲を付け加えたり。今月上旬に完成できればと考えているのですが、最後の1曲に予想以上に熱が入り(笑)、その曲だけでもあと一週間はかかるかなといったところです。
ちなみにアートワークは既に決まりました。 ビジュアルが決まると音の構成や編集が一段とスピードアップするものです。アルバム制作においてアートワークを絞り込むのも難関ですが、もう一つ毎回苦労するのはタイトル決め。音楽のアイデアが枯渇することはないですが、曲にふさわしいタイトルを考えるのは楽しくも苦しい作業です。逆に言えば、それくらいタイトルというのは重要だと思っている(特にインスト)。曲によってはもう1曲余分に作れるのでは?と思うくらいに時間がかかる時があります。
「創り散らかす」力
先日、瀬木慎一『画狂人北斎 』(河出文庫)を読みました。50年近く前に書かれた本なので、最近の北斎ブームに見られる「江戸時代のヒットメイカー」「西洋が絶賛!」といった浮き足立った美辞麗句がなく、限られた資料から北斎の生涯と作風を可能な限り正確に解明するという主旨の、非常に地に足の着いた美術評論でした。
北斎、ピカソ、アイザック・アシモフ、そして先日亡くなられた立花隆。僕はこれら巨人たちに共通したある一つの姿勢に興味を持って来ました。彼らは信じられないほど多作(Prolific)であり、作風のレンジが驚くほどに広範であること。しかも監督や編集者に尻を叩かれ、締め切りを迫られひねり出した挙げ句の多作ではない。彼らは生涯に渡り作品を「自発的に描き(書き)散らし」、次々と問題提起/コンセプトを生み出し、自らをも変身させてきました。生物学的な意味で言うところの「変態」をたえず遂げてきたのです。
上記の本で瀬木氏が指摘しているように、とかく芸術の世界では「純粋性」(一つの作風、スタイルに拘ること)が潔いものとされますが、純粋さは「ひ弱さ」につながることもあります。時代や世間の評判、嗜好性、経済的状況の荒波にのまれて創作意欲が衰弱してしまったり、創作活動を絶ってしまった繊細な作家の悲劇を皆さんも数えきれないほど見てきたことでしょう。北斎をはじめとする彼ら巨人がいかにクリエイターとして貪欲で逞しく、その雑食性が強靭な筆「圧」を生み、時代を超えて見る者読む者を圧倒してきたか。世の荒波にのまれることなく「創り散らかし続ける」パワー。僕が彼ら巨人に触発されるのはそこなのです。
残りの人生どう「創り散らかす」か、それを思い巡らしながら日々曲作りに向かえることを幸せに思います。