マイクロブログ・アーカイブズ 2022年2月
「分離」「通過儀礼」「帰還」というジョセフ・キャンベルの英雄神話のパターンは一つ覚えのようによく語られる。僕には生家や故郷がないせいか、「元いた場所に”戻る”」という桃太郎的な帰結よりも、「ショーシャンクの空に」のような「新天地にたどり着いてゴール!」という解放的な締めくくりの方が好み。
「分離」「通過儀礼」「帰還」というジョセフ・キャンベルの英雄神話のパターンは一つ覚えのようによく語られる。僕には生家や故郷がないせいか、「元いた場所に”戻る”」という桃太郎的な帰結よりも、「ショーシャンクの空に」のような「新天地にたどり着いてゴール!」という解放的な締めくくりの方が好み。
日本の「右に倣え」な同調圧力はよく知られているが、アメリカにも「前向きで楽観的、おおらかでいなければならない」という、日本とは真逆ともいえる社会的プレッシャーがある。いずれにせよ早い段階で「この人は(圧力の誘惑に)簡単に乗ってこないな」と諦められるのも一つの手。
「アンチフラジャイル(反脆弱性)」という言葉が以前流行した。政府(親)がアクシデントに対して過剰反応をしたり過保護になると、国民(子)が「打たれ弱い」体質になり、結果として将来や別の環境での不確実性やショック、ストレスに対応できる能力が育たなくなる。
今後CDの形態で一般販売をすることは最早ないかも知れないが、1,000円を若干超える程度の定価を想定して出荷しても、日本で売られる頃には3,000円を超えるという現象に閉口する。この謎を解こうと流通業者と色々掛け合ったが、結局アメリカでCDを製造して日本に流通させようと思わない方が賢明なのではないかと思っている。
3年前のデータだが、アメリカのヒットチャートのトップ10に入った楽曲にクレジットされているソングライターの数は、1曲につき平均9.1人らしい。1曲作るのになぜそこまでの頭数が必要なのか一見不可思議だが、この「一人の才能の手柄にしないで関係者みんなで山分け」方式はハリウッドを含め最近のアメリカ社会ではよくある現象。
「クリエイティブとは何か」については誰もが饒舌に語るのだけど、創作をビジネスという観点から見ると「オーナーシップ」という概念が実はとても重要。「誰のお金でそれを作り、市場に流したのか?」を軽視して創作に関わることは、クリエイティブでない作品を作るよりもずっと、キャリアにとって危険だと思う。
アメリカには著作隣接権制度がない。だからといって本来隣接権を持つはずの実演家達が不遇だとも言えず、彼らは彼らで稼ぐ手段がある。法律的な「正しさ」よりも、それぞれの立場の人が「稼げる仕組み」を確保できればOKという、実務優先な歴史的風土がある。
本当の人生は「人生(この世)はばかばかしいもの」と気付いた瞬間から始まるのだと思う。少なくとも自分(と大事な人達)の人生だけは有意義なものにしなくてはならないと必死で考え、行動するようになるから。「やっても無駄」と冷めた目でニヒリズムに徹して生きるのもありだが、それだけでは人生は長すぎる。
2021年が終わるにあたり、今年最後のFindingsです。5月に始めたマイクロブログが思った以上に自分にしっくり来ているので、マイクロブログのページもご愛顧頂けると嬉しいです。
Brazilian Phonkという音楽ジャンルをご存知だろうか?バンダ・ブラック・リオやジルベルト・ジルらによる、米国産ファンクに影響された昔のブラジル音楽ではなくて、現在進行形のエレクトロニック・ミュージック。”フォンク”は90年代の米南部産ヒップホップを発端とするサブジャンルだけど、今Brazilian Phonkと呼ばれている凶暴な音楽(笑)との接点が最早分からない領域に来ている。なので、僕がしっくりくる方のブラジリアン・ファンクを紹介します。
「サイエンティフィック・アメリカン」は「日経サイエンス」の本家版。そのポッドキャストで「新しい情報をキャッチアップしつつ、いかに”怒り疲れ”を避けるか」というトピックについて語られており、テック系ベンチャーキャピタルであるYコンビネーターの掲示板でもこの話題で盛り上がっていた。「Redditやソーシャルメディアに触れる時間を減らして、自然に触れよう」と結論づけていたが、なぜそれが彼らにとって難しい事なのか、そこがピンと来ない。
毎日1万数千歩を歩いているので、1年間で3000Km前後は歩いていることになる。ランニングからウォーキング中心に切り替えて3年を過ぎたけど、現在の住まいの周辺は坂道だらけなので、ヒザを痛めないようにと歩きに慎重さが増した。コロナを含めて風邪や不調で’寝込んだりすることが長らく一日もないことに心から感謝。磯野波平の想定年齢を既に超えたみたいだけど(笑)、気持ちをしょっちゅう20歳くらいにリセットしてる。