危機感こそ人を強くすると言いますが、金融や自動車業界よりもずっと以前から、そしてずっと根深い危機と隣り合わせの音楽産業に関わっているという事は、ある意味ありがたいのでしょうか?
先日Newsで新プロジェクトPlaymodel について告知をしました。早速国内・海外から「正式なリリースはいつ?」と問い合わせを頂いてありがたく思っています。来週後半には Club Model Electronicでリリース出来ればと思っていますので、もうしばらくお待ち下さい。
と書きつつ、「来週にはリリースします」なんてお知らせをすることは数ヶ月前までは不可能だったんだよなぁと感慨深いものを覚えます。先日のMetropolisのインタビューでもそんな話が出ましたが、「今日作って明日試聴、そしてリリース」という究極の音楽流通(?)の仕組みを作ることがこの4,5年の目標の一つでした。
もちろん、今や音楽配信やSNSはあらゆる音楽、ミュージシャンにとってかけがえのない流通手段の一つになっていて、既存のサービスでも十分活用しがいのあるものになっていると思いますが、それとは別にもっとキメの細かい、レーベルの存在価値やブランドカラーときちんとリンクする、独立した流通形態/プラットフォームがあっても良いのではないかと考えて来ました。また個人的には、音楽産業がIT産業に身を委ねた存在と化していく現在の流れにも多少違和感を覚えています。今、それらの思いを前向きなアクションとして具体的な形に落とし込んだものの一つがようやく動き始めたという訳ですね。
この数ヶ月、世間では暗いニュースが続き、人々の経済に対する価値観も大きく変化してきていることを、メディアを通してだけでなく実感として感じますが、音楽産業に関して言えば、そういった経済動向とは全く違うフェイズでの大きな価値変動が、既にかなり前から起こってきています。このところさらに打撃を受けているという話も聞きますが、景気後退とかレバレッジ経済の崩壊とか、財務大臣が酩酊会見を世界的にリピート配信してしまうといった「錯綜する現代」よりずっと以前から、音楽という産業やそれを取り巻く経済原理はとっくに破綻を来たしていて、汗のかき方やビジネスモデル、著作権の考え方などを根本的に見直さなければ21世紀の音楽産業の存続はないだろうという危機感が(音楽ビジネスに関わる人達の間では)あまねく浸透していたように感じます。
そのうっすらとした危機感は2000年辺りから始まり(自分の感覚としてはそうでした)、音楽業界は危機トレーニングをある程度積んできた、もしくは積まざるを得なかったという風に考えれば、幸いと言えるのかも知れません。もちろん、だからといってその間に着実に耐震構造(=脆さ)が改善されたという訳ではないですし、そのトレーニングの成果は産業全体としてはさして結実していないというのが実情でしょうが…(いや、音楽産業という括り自体、もはやあまり意味を成していないですね)。
今は上に書いたような、小さな単位、個人レベルでの動機と達成感を積み上げ横に繋げていくことで次の可能性の灯火が見えていく、そんな時代なのかも知れません。環境や時勢、為政者に原因を求めていても何も解決しない、そういう失望感が逆に個人を強くしていく方向に向かえばいいなと思っています。失望の極みあってこそ真のインディペンデンス・デイ、独立記念日がやって来るんだとばかりに。
何はともあれ、Model Electronicの提供する音楽が皆さんの気分を少しでも明るく、前向きに出来るように引き続き精進していきますので、今後ともよろしくお願いします。