ほぼ2ヶ月ぶりのFindingsになりますが、実はこの合間にも様々な仕事とウェブサイトの更新はしていて、このページだけがメインテナンスが遅れていました。ここでこの数ヶ月のおさらいを書き始めると膨大なボリュームになるのを覚悟して頂きつつ(笑)、出来る限り箇条書きで簡潔にまとめていきます。Newsの内容とも重複している点はご了承下さい。
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Dark Model on 映画「Elysium (エリジウム)」初公開映像
前回紹介した新プロジェクトDark Modelの楽曲が、2013年公開予定のハリウッド映画「Elysium (エリジウム)」(出演: マット・デイモン, ジョディ・フォスター, シャールト・コプリー 監督: ニール・ブロムカンプ「第9地区」)の初公開映像の中でフィーチャーされ、7月13日サンディエゴの Comic-Con(コミック・コン)にて上映されました。この映像は所謂公開版の「トレイラー」に先がけて映画業界・報道関係者のみに対して披露されたものですので、残念ながら一般の方は見ることは出来ません。
しかし、名実共にトップクラスの出演者の面々と、前作で高い評価を得た監督の期待が、この初公開映像によってさらに高まったのは確実なようです。詳しくはニュースのページでリンクを貼った「ハリウッド・リポーター」その他の記事を参考にして頂ければと思いますが、揃って「マジでヤバイ」「ブッ飛んだ」という賛辞の様ですので、そういったクオリティの映像に僅かながらでも自分の音楽が貢献出来たことを光栄に思います。
Dark Model on 米国Lexus ES 2013年モデルCM
つい先日一部が公開されたばかりですが、米国Lexus ES 2013年モデルのコマーシャルに Dark Model の”Fate” と “Oath” が使用されました。ひとまずはLexus の公式ページの方に一つ映像がアップされているので是非ご覧下さい。この他にも幾つかLexus関連でDark Modelの楽曲が使用されるのではないかと思います。
露出媒体(テレビでのオンエア)など、今後の予定はコンフィデンシャル(秘密厳守)ですので、公になり次第お伝えします。ちなみにESというモデルは現在日本では販売されていないようです。
https://www.lexus.com/models/ES/gallery/videos
“Fate” は既にYoutubeやSoundCloudで紹介しましたが、”Oath”はまだ未発表の楽曲です。こちらもいずれ公開しますので、お楽しみに。
Captain Funk on 米国Syfy「Hot Set」
Captain Funk の方で今お伝えできるのは、米国ケーブルTVチャンネルSyfy(日本ではユニバーサル・チャンネルがそれに該当するようですが)の9月から始まる新シリーズ”Hot Set” に “Superfoxy (Dirty Electro Mix)” のインストバージョンが使用されるというお知らせです。こちらはニュースのページに詳細を書きましたので、そちらをご覧下さい。
このSuperfoxyのセルフリミックスですが、ヴォーカルバージョンの方はYoutube, SoundCloud にアップしてありますので、そちらでチェックしてみて下さい。CFとしてはかなりゴツめで前のめりな音になっていますが、現在の仕事仲間やクライアントからはDark Modelと並んで人気のある曲です。
その他の広告・メディアへの楽曲提供情報としては
・Captain Funk 「Leaving」(“Sunshine“収録)が Elite Model(エリートモデル) のランウェイ・ショーのテレビ番組で使用されました。
・米国MTV、米国大手百貨店 Macy’s(メイシーズ)の若者向けブランド MStylelab、英国ライフスタイル雑誌 WALLPAPER* MAGAZINE
などがあります。来週にもまた色々動きがあるはずですので、追ってソーシャルメディア等でお伝えします。
ソーシャルメディア関連、そしてDark Model「Bionic Warrior」
先日Tumblrのページを大幅にテコ入れしました。カスタマイズしやすいので自分の仕事を伝えるという面ではTwitterよりもしっくり来ています。tatsuyaoe.com よりもニュースを早く掲載することもありますので、Tumblrを使っている方はもちろんのこと、そうでない方も是非下記のページを覗いてみて下さい。
https://captainfunk.tumblr.com/
このところYoutubeにも楽曲を色々とアップしています。Captain Funkの様々なリリースとリミックス、Dark Modelの新曲など、ジャンルや音楽性で見るとかなり幅があると思うので、気に入ったものがあればシェアなりして頂ければ幸いです。全部が全部ツボにはまる必要は全くありません(笑)。今日はDark Modelから”Bionic Warrior (HD)“を。
熱意と行動を絶やさなければ、「理解の絆」はいつか必ず見つかる
上のメディア使用情報などをご覧になってもお分かりの様に、音楽に対する評価やレスポンス、映像との相性の感覚というのは年齢・人種・地域・育った環境等によって大きな違いがあるものです。以前は自分の中の引き出しを開けるたびに、物理的に近い空間で「一般的である・浸透している」とされている認識や気分と、自分との間に接点をどう見出すべきか、どう応えるべきかを一応は真面目に考えていましたが、今は数々の経験や出会いから強い確信を得たこともあって、そうした息苦しい割に実りの少ない、チマチマとした禅問答から完全に解放されました。
どんな創作活動であれ、またいわゆる「クリエイティブ」な仕事に関わらず、自分が本心から価値があると信じて生み出したもの、熱意を持って全力で取り組んでいる事があれば、そこに理解と共感を示す人、さらには仕事として対価を払う価値があると思う人が、世界のどこかにはいるものです。ただ、それが必ずしも常に同じ人、自分の目の前にいる人、同じ方言や母国語を話す人だとは限らないし、さらにリアルタイムに共感が起こるとも限りません。目の前にいなければアメリカだろうが東南アジアだろうが南アフリカだろうが北極だろうが理解者を探しに行く必要があるかも知れない。100回や1000位は拒絶や無視、嘲笑を受けるかも知れない。タイミングが早過ぎるならば待ちながら他の事に従事することも必要かも知れない(タイムマシンが発明されない限りは)。
ただ確実に言えるのは、本人の熱意と行動を自ら絶やすことをしなければ、「理解の絆」を見つけられる可能性はゼロでは絶対ないということです。それを頭ごなしに、もしくはニヒリスティックに否定・批判する人がいたら、それはその人が見ている世界観のキャパシティや経験値がそれまでだということを証明しているに過ぎません。
シクスト・ロドリゲスの、ウソの様な本当の話
ちょっと話が「X-MEN」みたいになってきましたが(笑)、Sixto Rodriguez(シクスト・ロドリゲス)というミュージシャンを知っていますか?彼は70年代にアメリカでデビューしたものの泣かず飛ばずで、生活のためにやむを得ず解体業をしていたのですが、実はアパルトヘイト下にあった当時の南アフリカで彼の楽曲が大ヒットしていて、現地では「プレスリーよりも有名なアメリカ人ミュージシャン」として知られていたとか。’98年になって彼の娘さんが、南アフリカのファンが作ったトリビュートページをネット上で発見するまで、彼もその周辺もその事実を30年間全く知らなかったらしいです。その後南アフリカにツアーに出て何千人ものファンに歓迎され、NasやDavid HolmesなどのトラックメイカーやDJからのリスペクトを受け彼の楽曲がサンプリング等を通して紹介されたことで、2000年代に入って徐々に米英でも知られるようになりました。思わぬ時に、思わぬ場所で「理解の絆」を見つけたということですね。(下は彼のこのエピソードを描いたドキュメンタリー「Searching for Sugar Man」のトレイラーです)
一歩踏み込むか、何もしないか、すべてはあなた次第
僕はこの話から、「今の時代ならばインターネットがこの30年間という時間とアメリカ~南アフリカの物理的距離を埋めてくれる!」とめでたい夢物語を導き出すつもりは毛頭ありませんが、本人が埋められると思って信じて動けば実現の可能性は30年前よりも遥かに高いと思います。逆に本人にその執念がなければ、また行動への恐怖感からか自惚れからか、「誰かに発見される」のをただじっと待っているだけならば、30年前とも、いやゴッホが生きていた時代とすらも状況はさして変わらないでしょう。国際法が大きく変わったわけでもないですし、民族間・人種間・宗教間の争いが収まる事もないですから、行動することへの外的リスクが激減したわけでは全然ありません。しかしリスクばかり見て何もしないか、そこに一筋の光明を見出して一歩踏み込むかは、その人次第です。
最後に一冊洋書ですが、”The Sovereign Individual: Mastering the Transition to the Information Age
” (独立個人:情報時代への移行をマスターする)という本を紹介しておきます。’97年に出版されて以降日本語訳が未だ出ていないのが残念ですが、主権国家という概念から、自分で自分を治める「独立個人」という概念へのシフトについて、様々な側面から考察がされています。ただこれも、上の話と同じで、国家が個人の主権を重視する時代に「何か知らないけど徐々に」向かうわけでも、誰か救世主が現れて個人の時代に導いてくれる訳でも全然ありません(人によっては救世主が、余計な事をする悪魔に見えることだってあります。その逆も然り)。ですので、机の上に飾ってウンチクを垂れるための「教養書」ではなく、「実践書」として読むことをお薦めします。
次回のFindingsはまた結構先のことになるかも知れません。Newsのページや各ソーシャルメディア、英語版のブログは頻繁に更新していきますので、そちらもご参照頂ければ幸いです。