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本日Dark ModelのFacebookページを立ち上げました。URLも早速ユーザーフレンドリーなものに変更しました (https://www.facebook.com/DarkModelMusic)ので、時間のある時に覗いてみて頂けると嬉しいです。SoundCloudの方もこの5曲に関しては公開、Appからでも試聴出来るような状態にしましたので、気に入った楽曲があれば是非お友達にシェアして頂ければと思います。
Dark Model – 「音楽を主役にした、音楽を聴く人のための(映画的・映像的な)音楽」
聴いて頂いてお分かりのように、このプロジェクトはエレクトロニックではあってもオーケストラやパーカッシヴな要素を融合したハイブリッドな音が中心になります(今後さらに様々なアイデアを盛り込んでいきます)。「シネマティック」と説明のところには書きましたが、とはいえ映画の下敷きに流れる、いわゆる「スコア」や「サントラ」ものとも若干違います。スコアやサントラで良質な音楽は山ほどあるし、自分もCMの仕事などで映像に合わせて楽曲を書き下ろす場合も多いですが、それらの場合主役はあくまで映像の方であって、音楽は映像を引き立てる従属的な役割を担うものです(だからその分、音楽単体で聴くと退屈・単調に聞こえるサウンドトラック、スコアもありますよね。でもそれは音楽がこなしている「仕事の役割」が違うのだから当然と言えば当然なんです)。
Dark Modelは映像的な音楽でもあるし、そういった使われ方を意識した作りにもなっていますが、実際何か具体的な映像を意識して(もしくはそういう依頼を受けて)作った音楽ではなく、「音楽を主役にした、音楽を聴く人のための(映画的・映像的な)音楽」というのが基本的な考えにあります。逆に音楽から映像を各自思い浮かべて頂けるような聴かれ方をして頂ければいいなと思っています。
そういう発想は実は2000年リリースの”Songs of the Siren”の時からずっと続いているものです。音楽のジャンル自体は違うものの、あのアルバムも根底にある考え方は同じで、「音楽を主役にした、音楽を聴く人のための(映画的・映像的な)音楽」というのをエレクトロニック、ロックなどの要素で1枚のアルバムにまとめたいというのが原動力でした。あまり好きな表現ではありませんが、卑近な言い回しを使えば、「架空のサウンドトラック」ということですね。当時は僕自身ダンスミュージックのシーンの真っ只中にいて、しかも名義がCaptain Funkだったために、所謂フロアかそうでないかといった物差しからは随分離れた作品として、リスナーの中には面食らった方もいたかも知れませんが。
DJも映画も、共に「時間の旅」を提供するストーリー・テラー
これは個人的な見解ですが、自分の中ではダンスミュージックとサウンドトラック(的な音楽)というのはそんなに遠い音楽ではないんです。このことは先日英語の方のブログ “Music As A Time Journey”で書きましたが、僕は音楽の魅力の一つとして「時間の旅を提供する、時間の旅を楽しめる」というところがあると考えていて、これは映画の魅力と重なる部分が大いにあると思っています。ポップスが3分で完結する旅もしくは短編映画だとすれば、DJが提供する(通常90分から2時間程度の)旅はもっと緩急や喜怒哀楽のある長編映画のようなもの。それぞれの作品をどう構成して、どう見せ場を作り、受け手を引き込むか、そこがディレクターとしての作曲家/DJの腕の見せ所となるわけですが、その「時間をデザインする」ことの面白さに惹き付けられて僕は音楽をやっているのだと思います。
これは「ストーリー・テリング」とも言えますが、書き物の小説や物語と違う部分は、作り手が(物理的な)時間の尺と速度をほぼ一方的に設定してしまうという点です。本を読むように、受け手がその速度を変えることはほぼ出来ない。DJも作曲家も映画監督も受け手の3分~1時間半をロックイン=強制・拘束してしまうという点では同じ。なので、その責任は重い(笑)。
以上のような、「作り手・送り手として時間をどう料理するか、また聴き手として時間をどう味わうのか」という部分は普段音楽を聴く上で、また音楽を語る上でもあまり意識されない事柄かも知れません。CD屋さんにもAmazonやiTunesにも音(鳴り)のジャンル分けは分類されていますが、「展開速め」とか「徐々に来て最後ドーンと感動」なんて時間で切った分類はまずありません(笑)。でも実は音楽を楽しむ上で、これは鳴っている音そのもの同様、もしくはそれ以上に大事な要素なんだと思います。普段聴かないもしくは嫌いなジャンルの音楽でも心を打つ事がある。それは音の要素だけではなく時間の要素も必ず影響していると思います。つまりは音の「時間の運び方」が上手かったのです。
映像も俳優も綺麗だけど間延びしていて楽しめない映画、話の前半で先が読めてしまって退屈な映画、逆に要所要所の展開と起伏が見事で「持っていかれる」映画、淡々と進んでいくが何とも言えず引き込まれる映画、途中もしくは最後に一つ二つハッと印象に残るシーンがありそれだけで十分満足できる映画。これらの例えを1曲1曲の音楽になぞらえる事も、アルバム全体になぞらえる事も、また一つのDJセットにもなぞらえることが出来るのではないかと思います。
さらに言えば、映画に比べて音楽、特にインストゥルメンタルは、上に書いたように時間こそ拘束されるものの、受け手の想像力でストーリーを感じ取り、それぞれの心と体/頭で世界を描ける余地が圧倒的に残されているという点で、ずっと「時間の楽しみ方」の自由度が高いんですね(もちろん映画と音楽そのものの優劣の話をしている訳ではありません)。
そんな風に考えると、ダンスミュージック(特にDJという行為)とサウンドトラックが、長尺の時間の旅を提供する、自由度の高いドラマもしくはストーリーを楽しむという点において、意外と遠い存在ではないように見えてこないでしょうか?