農耕民族的なバンド、狩猟民族的なバンド、独裁制のバンド。バンドにも色々な成り立ちがありますが、その成り立ちの仕方と出てきた音楽はどう関係しているんだろう?
findingsを書くのが生活のリズムの一部になってきました、というよりもまたそういう波が来てます、何度目かの(笑)。今日NHKで村上隆氏を取材した番組を放送していたのですが、その中で、村上氏の不在時でも創作が滞らないよう、スタッフに事細かく指示を書いたマニュアルを紹介していたんです。以前彼の著作でそういう手法を採っていることは知っていたのですが、映像で見たのは初めてだったので、その指示の細かさ、マニュアル化の徹底振りを見て考えさせられる部分がありました。
作業を客観的に構造化し、それをきちんと継承できるように手順化する=マニュアル化、システム化を徹底化させるというのは、完全に自己完結する仕事でもない限りあらゆる仕事において不可欠な作業ですが、創作作業、いわゆるクリエイティブと言われる作業に関しては、そのシステム化・マニュアル化と独創性、アウトプットの飛躍(どれだけぶっ飛べるか)を共に成立させることが難しいと思われがちです。でも、本当はそういった不確定な要素の中の規則性・ルールを明らかにする事、一見「ひらめき」や感覚で進んでしまった様に思われる作業の「あしあと」を辿って出来る限り手続き化・パターン化していく事、そういった訓練・習慣づけこそが創作のアウトプットの質を安定させることにも繋がるし、作業のチーム化・分業化への可能性にも繋がってくるんですよね。
もし一人で仕事をしていたとしても、人間は自分の頭と体をそのようにある程度ルール化・手順化して動かしているはずですから、それを「分解し、伝え、共有する」事が出来れば、属人的と言われる創作活動であっても仕事の相当部分をチーム作業、流れ作業に移行出来るはず…。
効率とは一見縁遠い創作活動をしているといつもそんな事を考えてしまうわけですが、実際には未だ恐ろしく属人的で、分業化することでかえって課題が生じる事も多い(笑)。というより、こういった理想的な流れ作業を行うためには逆にディレクション権限の絶対集中化=独裁化が不可欠だったりするわけで、チーム作業といっても合議制民主主義なわけではない。マニュアルというよりもトップダウンの「指示書」「バイブル」という名称が相応しい位に精度を上げ、その実践を徹底させなければ、質の確実性は保証されず、焦点が定まることは難しいでしょう。つまり、チームであっても結局そのアウトプットは最初の発案者の分身でしかないのだ、そうメンバー全員が割り切ることで初めて創作は個の作業から脱皮してチームワークのレベルに進んでいくのだろう、そんな逆説的な事をよく考えます。
創作ばかりが特殊な世界では全然ありませんが、少なくとも合議制や通常の組織的(農耕民族的)リーダーシップではそこそこのクオリティは達成されても奇跡はもちろんのこと圧倒的な創作は生まれにくく、ただでさえ効率の悪くなりがちな創作作業の効率を更に下げることもある。そういうものだという割り切りをどうスムーズに浸透させつつ前向きな動機に転化させるか、そこがチーム作業の第一歩なのかも知れませんね。