[2024年10月更新] 2010年12月に投稿した原稿を加筆・修正しました。英語に翻訳したバージョンも作成したので、ご興味ありましたらこちらのページをご覧ください。
Numbers Game:「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」をポジティブに捉える
あまりポジティブなニュアンスで使われないように思いますが、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」ということわざがあります。僕がこの言葉を聞いていつも思うのは、「人間は数打っている間に鉄砲を改良する工夫を思いつくようになるし、打ち方を改善する能力も備わっていく」という「学習効果」の視点が抜け落ちているなということ。マシンガンで一気に、もしくはランダムに打つのでもない限りは、下手な鉄砲で数打っている間に、鉄砲の打ち方(=技術)に磨きがかかり、洞察力や状況判断力、工夫が身に付く。徐々に狙いの焦点が定まる。すると、もはや下手ではなくなっていく。でも最初は誰もが下手な鉄砲から始めなければならないし、数打たなければ上達も洗練も得られない。結果として幸運も巡ってこない。そういうものだと思うのです。
自分の知性に少しばかり自信のある、思い上がりの強い人は、数を打たなくてもある程度それらを予測・体系化することが可能で、要領の良い近道や「ハック」があるものだと、たかをくくる傾向があるようにも思います。しかし、実際に打って打って打ちまくらないと見えてこないものや、学習できない事柄は沢山あります。知識として「分かった気になる」のは傍観者でも出来ますが、身をもって経験を重ねて学びを得た実践者とは完全に別物なのです。
「数打ち」の真の価値は、単なる確率ゲームではありません。それは成長と学習の過程です。結果への執着を捨てて、アクションの数を最大限増やし、フィードバックや反応から学び、アクションの質を上げる。これを反復・継続すること。そのプロセスにこそ意味があるのだと思います。
先日音楽業界のベテランがインタビューで”Numbers Game(数のゲーム)”という言葉を盛んに口にしていたのが印象に残りました。上の様な「数打ちゃ当たる」そのプロセス自体をゲームとして楽しめと。これはどんな仕事においても非常に大切な心構えではないでしょうか?数打っていく中で個々の結果に一喜一憂せず、ある種のゲームだと思って自分の「成長過程」を楽しみながら打ち続ける。そんな心のキャパシティがあれば、飛び込み営業から就職面接、そしてオーディションまで、何にチャレンジするにしても平静な気持ちを保って事に取り組めるのではないかと思います。
[2024年追記] 2009年から2012年辺りにかけて、僕はアメリカの音楽ライセンス会社やミュージック・スーパーバイザーに頻繁にアプローチをしました。その結果アメリカで沢山の楽曲使用の実績が生まれ、米国永住権を取るための根拠をより強くすることが出来ました。2010年代の前半は、このNumbers Gameをひたすら実験・実証し、自分のキャリアを再強化・再構築することに明け暮れた時期だったと言えます。動けば動くほどチャンスも舞い込むし、リスクや事故も増える。自分が注意してコントロールしていても、周囲や関係者がミスをしてこちらに災難が回ってくることもある。ただし、それを恐れてアクションをしないということは、「何も学んでいない=前進していない」ということになります。恐怖指数が強く、安全志向の強い我々日本人はとかくアクションを避けるか、アクションまでに時間がかかる傾向があります。アクションは成果とリスクの学習を生む「好循環」であり、アクションしないことは停滞(後退)のスパイラルを生む「悪循環」に繋がります。
Waiting Game:「待つ時間」を味方につける
これに加えて、よく頭をよぎる言葉に「Waiting Game(待ちのゲーム)」があります。数を打ってレスポンスがあるまで、成果が出るまでには相当な時間を要すること、また最終的に成果自体が見込めないことも往々にしてありますが、その間の「待ち」自体を楽しみ、上手に活用すること。これも非常に大事なことだと思います。決して固執して成果を待ち焦がれたり逆ギレしてはいけません(笑)。逆ギレしている時間があったらまた鉄砲を構えて別の方面に打ちまくった方が賢明です。そのうち待っていることすらも自分で忘れてしまいます。
年始のMIDEMに始まり、今年はいつもに増して様々な方と知り合うことが出来て、大きな成果もありましたが、それらを通じてこの”Numbers Game”と”Waiting Game”の大事さと楽しさをますます実感できたように思います。いわばこの二つは「攻」と「守」の関係にあると思いますが、この二つをバランスを取りながら動くのは案外難しい。カンファレンスや交流会で名刺をやたらとバラ撒きまくるアグレッシブな行動も、逆にくブースに入り浸り誰かが訪ねて来るのを待つ受け身な態度も、どちらもそれだけでは収穫は見込めそうにもありません。そこで大事なのが「時間の差、流れを活用する」という考え方です。
「機が熟すのを待つ」という言葉がありますが、一つの果物が熟して落ちてくるのをぼーっと待っているだけではただの時間の無駄に終わる。待ちのゲームは「心の余裕を持って、ゆっくりやりましょう」という意味ではありません。むしろ逆で、「努力が実を結ぶまでの時間は予測不可能」だという現実を見据えて、成果を期待せず、「待っている間も(=待たないで)動く」というのが真意です。
究極的には「待つな(期待するな)」と同義です。Waiting Gameは、単なる待機ではなく、時間の流れを戦略的に活用する技術なのです。このゲームを理解しマスターすることによって、待つことを自分の成長の旅における、生産的で有益な過程にすることが出来るでしょう。
[2024年追記] 「果報は寝て待て」という言葉もありましたね。上の考え方に沿って言えば、「寝て待つ」のではなく、「寝かせて待つ」というのが適切でしょう。「結果が出る間に、次の準備や別のアクションをしておく」ということ。記憶や筋トレにも「定着効果」があるように、仕事や努力にはそれが成果となって実るまでにタイムラグがあります。最近は手に入れるまでにタイムラグがある報酬をPassive Income(「不労所得」は誤訳)と言いますが、ロイヤルティ(印税)や家賃収入はまさに”Waiting Game”の見返りです。受動的に得られる収入というと聞こえは良いですが、通常の収入と違って、初期の投資や努力(種まき)が必要であることに加え、「成果が出てリターンを得るまでに待たなくてはいけないし、いつまで待つのか予測できないだけではなく、待っても成果は保証できない」という世知辛さはあります。だからこそ、待っている間の生産性を高める方法を考えるのが賢明ということになります。「待ち」自体に意味があるのかどうかすら分からないという意味で言えば、Waiting Gameの本質は「待つ」ことではなく、タイムラグ(時間の差)を最大限活用するということになるでしょう。時差を活用するのは二国間で仕事をする上でも大事だし、古くからある農業の「二毛作」もこの「待ちのゲーム」の一種といえます。
「コミュニケーションの即時性」は「成果の即時性」を意味しない
思えば僕がイタリアからデビュー出来たのもヨーロッパのテクノ・レーベルにデモテープを送りまくったのがきっかけですが、FAXと電話、航空郵便でやり取りしていた当時に比べると、今は”Numbers(可能性)”は格段に増し、”Waiting”する時間(待ち時間)は飛躍的に短縮されました。ただこういったテクノロジーの進化やイノベーションが、鉄砲を磨かないであらぬ方向に無駄打ちをしたり、”Waiting”することにしびれを切らしてしまう傾向を強めてしまっているかも知れません。残念な事に、「コミュニケーションの即時性」は必ずしも「成果の即時性」を意味しないのです。
慎重さと忍耐がものをいう:相手の仕事内容を理解しないで「デモを聴いて欲しい」とか「自分の曲のライセンスを手伝って欲しい」など、的の外れたメールやダイレクトメッセージを送るのは、かえって自分の信頼を落とすことにも繋がります。
「数打ちゃ当たる」は今でも有効な考え方ですが、簡単に繋がる時代だからこそ、より慎重に、より相手の状況を配慮したマナーで行動をしたいものです。
Stay active, but focused.(アクティブに、だが焦点を絞ること。)