華麗なる方便を編み出し、ついた嘘は全て墓場まで持っていける自信がある。もしそんな人がいるとしたら、その人の嘘は既に嘘ではないのではないかと(笑)。
数ヶ月キープしていた映画鑑賞券の締め切りが迫っていたので、気分転換を兼ねて近所の映画館に行って来ました。映画自体はプレッシャーからか、各役者を立てる監督の気配りがやたらと目立つ、合議制ならぬ合資制(製作委員会方式)の遠慮とパワー・ポリティクスが見ている側にも伝わってくる内容でしたが、気分転換にはなりました。
先日のチーム・クリエイションの話にも関係しますが、どんな仕事であれ、プロの世界では「それを誰の手柄とするか」という、貢献度を明確にポジショニングして見せる事が必須になってきます。実際の作業のボリュームや現場での力関係、貢献度がそのまま反映されることもあるし、プロモーション的な説得力、インパクトを重視するための方便として、実際のそれとは違ったポジショニングやクレジットになることも往々にしてあります。
真実を見せることが最も強い説得力に繋がるわけでもない(逆に真実を知らない方が良いこともあるでしょう)し、全ては「受け手がどう感じるか」という”効果・効能”を送り手側なりに考えた上での結果なので、そのこと自体は全然問題はないと思います。ただ、情報を加工するにしても、それが簡単に見破られる程度の情報の歪曲だと、結局のところ受け手の側もあまりハッピーになれないもの。同じつくなら皆が心地の良くなる嘘、いや真っ赤な嘘をついてしまった方が良いのかもしれません。とは言うものの、情報を加工し尽くしてしまって別物にしてしまう「完全犯罪」、「情報の全身整形」にエネルギーを割くならば、中途半端な嘘をしなくても済むように普通に頑張った方がまだ楽でしょうね(笑)。
それこそ数十年前から現代に至るまで、メディアを中心とした様々な情報操作についてのエピソードは枚挙にいとまがありませんが、あの手の話を聞いていつも可笑しいなと思うのは、それらが後になってエピソードとして語り継がれているということ自体、その殆どが「結局バレちゃった」って事を証明しているという事、そして受け手も放つ側と同じ位のスピードとボリュームでそれを十分学習してしまっているという事です。瞬間的には騙せても、人々を煽ることは出来ても、時間が経てばちょっとやそっとの情報操作や嘘はバレて、お寒いことになってしまう。時間が真実を照らし出すとでも言いましょうか、嘘は時空との戦いなんでしょうね。
というわけで、皆さん普通に頑張りましょう!