自画自賛にしろ自己卑下にしろ、己に意識が集中しすぎることは彼(相手)に向けてアクションを行う時間とエネルギーを奪います。自分と立場の違う相手のことをまずよく理解することで己を強くすることができ、勝算を持って相手にリーチすることが出来るのです。
このところ日本関連の不穏なニュースが続いていますね。自分のブログは出来る限り建設的な内容にしたいという思いを込めつつ、ここ最近感じるのは、外交であれ一人ひとりの普段の生活であれ、日本人はもっとタフさを身につけなければならないということです。野蛮さから来るタフさではなく、また自己鍛錬の意味でのタフさでもなく、自分と立場の違う人間への理解(=共感である必要は必ずしもありません)と知識を身につけて、相手との具体的なアクションやコミュニケーションまできちんと持ち込むという意味でのタフさです。
己より、相手を理解することにエネルギーを割く
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という、有名な孫子の格言があります。個人的に思うのは、日本人は「己を知る」もしくは「己事(おのれごと)」に時間・エネルギーを割きすぎる傾向があるということ。
「己(自分達)」同士でどんなに話したところで「彼(相手)」のことはなかなか理解できません。それどころか狭い視野の範囲で議論が両極化したり、「己」の中にまた別の「彼(=敵、細かい差異)」を見出して内輪揉めや自家中毒を起こすだけで、「己」を知りすぎることはかえって外への求心力、「彼」に向けてアクションを行うエネルギーを奪うことの方が多いです。
相手とのコミュニケーションを取る前に内輪揉めや足の引っ張り合いで皆が疲弊してしまって、本来誰と戦うべきだったのか、そもそものゴールは何だったのかその動機すら分からなくなってしまう。結局相手(=外部)に対しては、適切なタイミングで何のアクションも起こせなかった、結果を引き出せなかったということは、ニュースで見かけるような外交問題や時事問題でなくても、我々の普段のビジネスレベル、生活レベルでしばしば起こっていることなのではないでしょうか?
時折、結果は本当はどうでも良くて、そういった内輪揉めや混乱自体を楽しみ、生き甲斐にすらしているのではないかと思うような本末転倒な事象に出くわすことがあります。
(メディアでよく見かける「クールジャパン」や「和食ブーム」などにも同じような傾向が見られますね。自意識過剰の躁状態としての自画自賛とその裏返しとしての(鬱状態の)自己反省や卑下がないまぜになっていて、かなり奇妙に映ります。同じ自画自賛するならまだ(国内外の)日本人に対してではなく、ずっと外の世界に向けてガンガンやってみればいいんじゃないでしょうか。国家という存在が先頭に立ってその文化的優越性を誇示したり支援することがこの21世紀の国際社会でどの位微妙な問題を含むのか、どれ程の覚悟が必要なことなのかは、そこまで踏み込んでみないと学習できないですから。)
自意識過剰に見切りをつけよう
「敵を知るには味方から」という言葉も聞いたことがあります。しかし、味方を知れば知るほど味方すら敵に見えてくることも往々にしてある。誰が敵で誰が味方かというレベルにエネルギーを費やし求心力を失うことほど、身内を不幸にし、本来の敵を優勢にすることはありません(場合によっては第三者の「漁夫の利」も)。
自分を大事にしたいならばなおさらのこと、自分の事を考えすぎること=自意識過剰と自己反省の堂々巡りに時間を割きすぎることに見切りをつけて、「敵(「相手」)を知る」「敵にアクションを取れる環境を作る」事に最大限注意を払うべきだと思います。相手のことを知るからこそ自分(味方、家族、自分を取り巻く環境)の結束力、知力、信念を強くし、勝算を持って相手にリーチすることが出来るのです。
Part2に移る前に、先日OE “Hollow Stone (Instrumental Mix)” が使用された米Burton(バートン)社のサブブランドAnon Optics M3 のビデオを紹介しておきます。このトラックは新たにレコーディングされた未発表ミックスですが、オリジナル・ミックスは2002年リリースのOE「Here and You」に収録されています。