大幅にリニューアルした Link のページ、もうご覧になって頂いたでしょうか?今回はここ数年の間に立ち上がった関連サイトの紹介はもちろん、iTunes、AmazonをはじめとするCD・MP3ショップへのリンク、そして普段親しくさせて頂いている国内外のクリエイティブ系の友人へのリンクを充実させました。Findings をご覧の皆さんは既にご存知のサイトばかりかも知れませんが、お時間ある時に探索してみて頂けると嬉しいです。
Contents
海を越えた「尊重と気遣いのコミュニケーション」
さて今週は再び海外とのやり取りで深夜中心の生活になっています。自分の楽曲が北米やイギリスなど海外の映像、ゲーム、企業キャンペーンなどに使われることになったという吉報が続いていて、そのフォローワークや交渉をしている最中です。それぞれお話を頂く会社が異なり、支払い方法から契約内容まで当然違うため、お互いが気持ち良く話を進めていけるようにするには相手への尊重・気遣いが欠かせません(もちろん英語の言い回しや時差への考慮も含めて)。
実際には会った事のない人達、しかも彼らは普段殆ど日本人はおろか東洋人と仕事をした事がないわけですから、僕の一挙一動がそのまま彼らの日本人に対するインプレッションに繋がる可能性もあることを意識しながらやり取りをしています。幸い僕がお付き合いさせて頂いている人達は、ビジネス(成果)のベクトルが同じ方向を向いてさえいれば国や人種は問わないタイプばかりですからスムーズに仕事が出来ていますが、そういったオープンマインドで前向きな人達に出会える機会が世界中にころがっている訳ではありません。むしろ、それが分かっているからこそ関係を上手に長く続けようという意識がお互い働くのでしょう。「担当を外れたからあの人とはもう用はなし」、みたいな世界とは真逆の、ガチ(笑)人間力が問われる世界です。
パーソナルな、百年前の信頼社会
と書いていて、セス・ゴーディンの著書「パーミションマーケティング」にあったくだりを思い出しました(この本が出版されたのは1999年ですが、今読んでも内容に全く遜色がありません)。そのくだりを端折って紹介すると、「百年前世間にあるのは小さな会社だけで、実際、取引される紙幣は小さな個人事業主の間を流通しているだけだった。ご近所の店は信用第一で、また実際に信用を受け、きっちり仕事をこなしていた。当時の顧客はクレジットカードも、電話も、フェデックスの個人番号も持っていなかったがそれで商売が出来た。企業は新しいお客さんがどういうひとかはっきりわかっていたので、それに適した扱いができた。経営者は、じっくり見込み客と話し込むことで客の人となりを知る事ができた。そうすることが結局は商売になることを知っていたからだ。その後巨大ブランドや多国籍企業が生まれ、”平気で人の考え事を中断する「土足メディア」「土足マーケティング」”が始まった。しかしその手法が世間に溢れ帰り消費者からうんざりされ、古典化・無力化していく。そんな中でインターネットの到来と共に、「新しい顔をした古いコンセプト」である、パーソナルで顧客の期待に応える(回数を重ねていく”デートの様な”)マーケティングが再び必要とされるようになった。」云々…。
新しい、疑似「個人商店社会」の生態系
これはマーケティングに限った事だけではなく、仕事の作法やコミュニケーション全般についても当てはまるのではないかと思います(個人的にはマーケティングという言葉自体を広く解釈して「相手の気持ちを考えて行動すること」だと考えるようにしていますが)。さらに言えば、仕事に関係するしないに関わらず、一人一人が自分の顔に責任を持ちその顔(看板)で信頼関係を築いていく、擬似的な「個人事業主(商店)集合社会」の様な生態系に近づいて来ているような気がするのは僕だけでしょうか。(「顔」つながりで無理繰りつなげるわけではありませんが、Facebook の様な記名性の高いSNSが普及してきたのも、そのことと相関関係があるような気がしています)。
つながりの「広さ」から「深さ」を求める方向に向かうのか?
少し話が脱線してしまいますが、そういう流れがもし現実にあるとしたら、インターネットでのコミュニケーションを未だリーチのボリュームで測るマスメディア的な発想法から離れられない傾向が一般的にあるというのは皮肉なものですね(もちろんインターネットにもマスメディア的な特性はあります)。自分も然りなのですが、このところGoogle広告のおかげで「コンバージョン率」という言葉・概念はある程度普及したものの、未だに我々はSNSやウェブサイトでの集客数、ページアクセス数、試聴者数、フレンドの人数、フォロワーの数など、リーチ(接触ボリューム)つまり「面」の勝負の世界、さらに分かりやすく言えば表面上の「人気取り」の世界に関心(と強迫観念)を奪われがちです。現実の社会に即して考えれば、一人の人間が何十万人とデートを重ねるのは物理的に不可能で長続きしない上、リスキーなのは分かっているにも関わらず(笑)。
そういう意味も含めて、セス・ゴーディンのくだりで書いた「百年前の信頼社会」なら自分はどう行動するか?なんて事を想像しながら仕事を進めている今日この頃です。