来週に控えたレコーディングの為のデモトラックを制作しています。最近僕の中でまたディスコファンク、エレクトロファンクっぽいモードが復活しているので(”Heavy Mellow”もしくは”Encounter”系?)、今回はその辺りを意識して作ってみたのですが、こういうのはやはり得意というか、自分の「お里」なんですよね。アイデアに煮詰まることもなく、スムーズに完成まで進みました。
この数年「エレクトロ」という言葉の浸透と拡大解釈が急激に進みましたが、そういったトレンドとは別に、自分にはルーツと言えそうなある音楽の塊(かたまり)があって、その辺りはもうそれこそ学生の頃から変わっていないんです。ダンスミュージックに限らず、ロックでもジャズでも現代音楽でもクラシックでも、自分の琴線に触れる「音楽の幹」の様なものは二十歳頃までに出来上がってしまっていて、それ以降触れた音楽は殆どそこから派生する枝葉の様な感覚で聴いている。
本来「エレクトロ」という言葉は「エレクトロ・ヒップホップ」や「「エレクトロ・ファンク」の事を指す用語だったので、広義すぎる今の「エレクトロ」って言葉にはまだ違和感がありますが、今更わざわざ自分を言葉やトレンドで縛る必要もないと思って、「便宜上そう呼ぶのが良いのならそう呼んでくれても大丈夫」位に捉えています。言葉遣いは変われども、エレクトロニックなもの、ファンキーなもの、ダンスミュージックにもそれなりに普遍性や耐久性ってものはあるし、それぞれに個性を出す余地も残されてはいるから。
昔からよく、「創作物の耐久性」って何だろうって考えるのですが、結局自分のお里や身体感覚に素直に作っていれば、自ずとにじみ出てくるんじゃないかなという気がします。それが好きか嫌いかは、その人の身のこなしや話し振りが好きか嫌いかとか、そういう生理的なもの、先天的なもの、もしくは長い時間かけて形成された後天的なもの、その辺りの好き嫌いとほぼ同じレベルで分かれていくのだろうと。
2007年的なもの、今自分がスピンしているレコードのサウンドやトレンドを意識するのはDJやダンスミュージックに関わる人間としては当然ではありますが、自分の創作物に流行のアレンジ、フォーマットや空気感を過度に詰め込んだり過剰に意識して作ることで、「自分らしさをカモフラージュしすぎない」こと、これは耐久性を持たせる上でも、自分らしさを音にきちんと込める上でも大事なのではないかなと思います。
流れが速くブームや言葉に翻弄されやすいダンスミュージックは特に、即物的な誘惑やリスクがいつも存在します。ずっと誘惑に翻弄されるわけにもいかないし、どこかの時点で進化を止めて頑固オヤジよろしく「オールドスクール」を自称しても、結局のところそのオールドスクールのスタイルを生み出したのも他人の誰かでしかない(ブルースと同じ構造です)。そういったジレンマを乗り越えるにはある種の開き直りというか、「世間」と「固有の自分」との距離感をどう保つかという、「覚悟のマニフェスト」みたいなものが必要になってきます。要はフルチンでフロアやリスナーに臨めるか?みたいな話かな(意味不明?)。
来年はCaptain Funkとしてはデビュー10周年ということになりますが(でも半分の5年間休んでたので、この表現はあまり意味がありません、笑)、’98年の”Encounter”な自分にまたEncounterしているというか、デビュー作品って正直なものだなと10年経って気付かされる今日この頃です。そういう意味では今年出した2枚のアルバムにも、その辺りの心境が出ているのかも知れません。
明日から次の作業に入ります。時は師走ですが、みなさんも良い週をお過ごし下さい!