エレクトロニック・ミュージックや一部のロックにおいては、機材の無茶な使い方や、音のバランスやダイナミクスをあえて崩す、いわば「失敗」「禁じ手」が新しいクリエーションを輩出してきたという経緯があります。「違い」はそのまま「先天的なクリエイティビティ」にもなりうるわけですから、海外の音楽に比べて優劣を議論するのではなく、その違いを積極的に生かし、外にアピールすることも必要なのではないでしょうか。
今日は幾つかお知らせがあります。News でも採り上げた様に、UKのカルチャー誌 “Impact Magazine” で、ライターの Andrez Bergen氏が Tatsuya Oe / Captain Funk を ”Top 10 Japanese Musicians” に選んで下さいました。とても光栄に感じています。どうもありがとう!
目下、来週の Tatsuya Oe Store オープンに向けて、過去の楽曲を整理、一部音源をリマスタリングしています。ここ4、5年の制作、特に Model Electronic からのリリースのものをmp3で販売する際は、エンコード以外の音加工はしていませんが、それ以前の作品に関してはマスタリング作業の質自体には今も非常に満足しているものの、現在のCaptan Funk作品と聴き比べるとCDにプレスされた音の音圧が若干低い部分があります。これは僕の作品に限らず全てのダンスミュージックのCD音源に関して言えることで、時代の変化・技術の進化と共にCD/12インチに収められる時の音が大きくなり、ますますラウドでブライトな方向にシフトしてきているんですね。10年前のCDの音源と今のCDの音源を同じプレイヤーで演奏すると、昔の音源はボリュームが若干小さく聞こえる、なんてことは皆さんも普段よく感じるのではないかと思います。
Model Electronic からのこれまでのリリースは全て僕自身がマスタリングまで行っていて、かなり突っ込んだ音圧のマスター音源を制作しています。なので、現在販売されているCD音源の中でも相当音が大きく感じるのではないでしょうか。もちろん、この「ラウドネス競争」を危惧するエンジニアやリスナーもいて、やみくもに音圧を稼いで逆にダイナミズムを極端に損なう方向に行かないようには注意していますが、ダンス・ミュージック、ことCaptan Funkに関しては、出来る限り迫力のある音、ブライトな音のままでCDにプレスし、皆さんにお届けできるようにしたいと考えているんです。
エレクトロニック・ミュージックや一部のロックにおいては、コンプレッサー/リミッターやフィルターの無茶な使い方や、音のバランスやダイナミクスをあえて崩す、いわば「失敗」「禁じ手」「異常値」が新しいジャンルやトレンド、そして新しいヒーロー・エンジニアを輩出してきたという経緯があります。僕らがカッコいいと思うサウンドをした音楽であっても、常識的なエンジニアリング(もしくはオーディオ・マニア)から見ると落第点、みたいなケースは沢山ありますからね。全員に及第点をもらうのは不可能というものです。
そういえば、昔よく我々の周囲で、「海外のダンスミュージックの音源が迫力(=音圧)があるのは電圧の違いだ」という、まことしやかな話が聞かれました。そういった物理的な環境の違いもあるかも知れないけれども、それよりも「どう聴こえているのか、どう聴かせたいのか」という耳の違い、意識の違い(優劣ではなく)が大きいと僕は思っています。身体的特徴も違えば普段食べるもの(=味覚)も違いますし、言語を話す時の頭蓋骨の震わせ方も違いますから(笑)、当然アウトプットも違いますよね。聴こえていないものは出せない、出ていないものを聴かせることは出来ない。それはお互いそうなのではないかと。
ダンスミュージックはスポーツの規定競技に幾分近いところがあって、他の音楽に比べて機能面での合格点をクリアすること(例えばボトムの太さや他の音源とのミックスしやすさ)が必要とされる部分はあるけれども、創作という面からすれば「違い」はそのまま「先天的なクリエイティビティ」にもなりうるわけで、無理にその違いを埋める必要はないんじゃないかなと思います。違いを埋めないことでまた新たなジャンルや価値観を生むこともありますし、数をこなしていけば自分なりの音の基準が出来てきますから、その時点に到達したら、もう他と比較するよりも自分の基準をより厳しくし、精緻なレベルまで追い込んでいくことの方が大事ではないでしょうか。