前回のfindingsから早2週間が過ぎましたね、英語のブログの方はその間幾つか投稿したので、よかったらそちらもご覧下さい。少し専門的かも知れませんが、出来るだけfindingsとは被らない内容で、(主に海外の)リスナーや業界の方が興味を持って読んでもらえるようなものにしたいと思っています。
先週約5年間メインで使用していたMacが壊れました。ほぼPro Tools専用機として使っていたので急にマシンがイカレるのは本当に困るのですが、こういうこともあろうかと年初に新たにMacを購入してLogic ProとPro Tools10を搭載していたので、頭が真っ白とまでは行かずに済んでいます。
僕はあまり機材の話をするのが好きではなく、また特に拘りもなかったのですが、ここ最近は仕事上の必要性から、ある程度新しい機材・ソフトウェアの情報を仕入れておくようにはしています。最近はソフトウェアの価格もかなり下がってきているし、ネットで情報もすぐに入手出来るので、制作環境に関して言えばアマチュアとプロの差が相当縮まったのではないでしょうか。その分、より耳と感性を肥やし工夫をしていくことや、手作業や着想に時間をかけて独創性を出す事がより大事になってきているような気がします。
独創性うんぬん以前にクオリティが優先される世界もある
独創性(オリジナリティ)とクオリティのバランスをどう取るかというのはなかなか難しい問題です。独創性、クオリティ共に、「サウンドの」それか、「音楽的な」それか、によって話が違ってきますしね。例えば、映画やCM等で使用する音楽の世界では(主にアメリカでの話です)、サウンドのクオリティが低い、メリハリが弱い事は音楽的な「個性」や「独創性」の言い訳にはならないんですね。「鳴り」が悪くサウンドに説得力がなければ、メロディやメッセージに音楽的な豊潤さがあろうが弁解の余地なし。そこがローファイや粗雑さもまた個性/オリジナリティの一つになりうる、いわゆるアーティストの世界と大きく違うところでしょうか。サウンドが貧弱/ローファイであるのと、音楽的に貧弱である(もしくは個性がない)のとどちらが先に減点対象になるかと言えば、むしろ前者かなと思う位です。要は作品の「核心部分」よりも(表層的な)掴み、すなわち「ハッタリが肝心」ということかも知れません。
もちろん双方不可分なところもあり、両方兼ね備えてこそプロだとも言えるわけですが(どちらかに偏り・頼りすぎると結局は作品もキャリアも耐久性に乏しいものになってしまうものだと思います)、フォトジェニックならぬ「サウンドジェニック」であることが重要視される、またそれを「クオリティ」と呼んでしまうという風潮は、強まりこそすれ後退することはないでしょう。
新曲試聴:Dark Model “Judgement Day”
最後に先日Music UpdatesにアップしたDark Modelの曲”Judgment Day”を紹介しておきます。知り合いからイントロのストリングスは何のソフトを使っているのかという質問を受けたのですが、このソロバイオリンに関しては市販のソフトやサンプリング音源を使わない方法を採りました。最近はオーケストラ系、ハリウッド系の音源も格段にレベルが上がり充実していますが、小編成やソリストのアーティキュレーションを感情豊かに表現してくれるものは(自分の知っている範囲では)まだあまり多くないので、地味で(笑)時間のかかる仕込みをしています。