元来自覚していなかった自分の「良さ」を他人に発掘・指摘されてしまった時、さてどうしましょう?
お陰様で風邪はほぼ治りました。僕は何故か原宿に行くと風邪を引くというジンクスがあって(笑)、昨年も今年も原宿のラフォーレ前(今年で言えばH&M前)を通った半日後に悪寒がしたのでした。全然嫌いな街ではないのに、そしてもちろん、裸で歩いていた訳でもないのに、どうしてなんでしょうね…。
ところで、先日NewsでアップしたJ-Pop Worldのインタビューは読んで頂けたでしょうか?全編英語でしかも少し硬い内容が多いのでヘヴィかも知れませんが、自分が普段考えている事を割りとストレートに伝えられたインタビューだと思います。インタビュアーの方(アメリカ在住のアメリカ人)が、非常に僕の事を知っていて、事前に周到な準備と予習をして質問を練られていた事に感心しました。
回答の中でも書きましたが、日本のポップミュージックが多少なりとも海外でも知られているとするならば、また特に’90s以降の日本のオルタナティブ、インディペンデントな音楽が海外特にアメリカに浸透したのは、彼らの様な Finder, Appreciator(発掘者、良き理解者)がいたからであって、レコード会社や音楽出版社など供給側が強引なプッシュをしたわけでも、絨毯爆撃型の宣伝攻勢をしたわけでも何でもないんですよね(少なくとも僕らインディシーンに関しては)。理解あるファン、ジャーナリストやプロモーター達による、極めて自発的で、多くの見返りを要求しないボランティアな情報伝達と、それに呼応したミュージシャン達の草の根でのツアーやプレス活動の賜物なのだと思います。
今でこそクールジャパンと言われ、日本のポップカルチャーを有望な輸出「産業」だと捉える向きもありますが、クールジャパンという概念こそが逆輸入というか、外からクールと言われて「あら、自分たちってそうなの?」と気付いて後から、「じゃあそういう風に名乗らせて頂きます」と自称して(もしくは自己暗示をかけて)いる部分が大きい訳ですよね。海外メディアはずっと以前から、日本のクリエイターやアーティストを紹介するたびに、「キッチュ」「エキゾチック」などの、ストレートな褒め言葉ではないにせよ彼らなりのリスペクトを表す表現を使って、一定の評価をしてきました。ただそれがムーブメントになるほどの規模ではなかったこと、日本(特にメディア)もまだまだ海外の文化から吸収することに意識が集中していたため、そういった散発的な出来事や反応にあまり興味を示していませんでした。クリエイター達の無自覚な良さ、もっと平たくいえば「天然をつらぬくひたむきさ、潔さ」が日本のポップカルチャーの美徳だとすら言える部分もありました。
90年代を経てそこに変化が起こり、当人のクリエイター達をクリエイターを通り越してメディアや周囲が徐々に自覚的に、一部の領域では既に戦略的・確信犯的、さらに言えば自意識過剰になりつつあるわけですが、今後は、海外のマーケットとコミュニケーションを取る上で、その膨張しつつある自意識をどうコントロールしバランスを取っていくのがふさわしいのかを考えることも大きな課題となってくるんじゃないかと思います。自信を持つことはとても大事ですが、当人のクリエイターやアーティスト達は、元来他人の評価に関係なく創作を続ける信念や自分の作品に対する自信は持っているものです。外から降って湧いた賞賛でにわかに自意識を膨張させ、自分たちが本来関心・愛着のないものですら売れる「産業」になるとお祭り騒ぎを起こすのは彼らではない。その温度差や違和感は自ずとオーディエンス、ファンにも伝わってしまうのが予想できるだけに、今後の展開を注視していく必要があるかも知れませんね。
そんな中、クロアチアのリスナーの男の子が「Club Model Electronicでアルバム買ったよ!」なんてメッセージをくれたり、チェコの友達の誕生日をメールで祝ったりで、概念やワードよりも現実の方が数歩先に進んでいる感のある今日この頃です。