「集合知」やクラウドソーシング以前に、”自分にとって必要な「分散知(世界中に点在する知恵・能力のリソース)」をどうやって拾うか”って事を考えてみる。
友人のボーカリストとミーティングをしました。今週は5,6曲デモを作ったのですが、このペースを上手く守ることが出来れば、年内にアルバム1枚位のボリュームが仕上がる。ってそんなに順調に行けばいいのですけど(^-^;)。
今回の制作分からは、出来た時点でClub Model Electronicで順次発表していくというのが理想と考えています。なので、最初にコンセプトをカッチリと固めるという従来の形とは制作スタイルもおのずと変わってくるでしょうが、現時点で言えばより”Heavy Mellow”の延長上に位置する様な楽曲が増えるのではないかと思います。
そういえば、今日会った友人(カナダ人)は、家系や周囲にエンジニアが多いので、誰か優秀なエンジニア/プログラマいない?と質問してみたら、「みんなにそれ聞かれるんだけど、知り合いは皆アメリカで起業して自分で仕事を創っているし、常に需要過多なんだ」と言っていました。日本にも優秀なエンジニアは沢山いらっしゃると思いますが、インドや中国、欧米のエンジニアと大きく違いを感じるのは、彼の言葉にもある「起業家精神」なんですよね。オープンソースコミュニティへの参加姿勢なども相当に距離があるように感じます。
もちろん海外であってもブランド力のある企業に就職したい、安定した収入が欲しいというエンジニアの方が比率としては高いでしょうが、日本で一時期目立っていたような、エンジニア的な素養や技術的な売りとは全く関係のない野心、ヤマっ気でもってIT企業を立ち上げる「ファイナンシャル・レバレッジな輩」と、それを下支えする労働集約的な仕事に追われるエンジニア、みたいなあまり夢を感じられない「悲劇の二重構造」とは少し毛色が違う環境にある事が多いように思います。職業に対するリスク意識やベンチャー哲学が違うと言ってしまえば簡単ですが、とはいえリスクを背負って起業したところで銀行も世間も応援してくれるわけではない、しかもある程度忍耐力と世渡り力を身に付ければそこそこ食えてしまうこの国で、そんなに大層なモティベーションを抱える必要があるかどうかと言えばそれも疑問ですからね。その上、「起業=ヤマっ気ありき」みたいな匂いが蔓延してしまうと、素朴な動機だけでは太刀打ちできない&食い物にされそう、なんて消極路線に走ってしまっても仕方ない側面もあるでしょう。
ただ思うのは、モティベーションが素朴であればあるほど、その成果の耐久性や持久力は強くなるのかなということです。素朴な動機から小さなアクションをスタートし、成長と共に徐々にプロセスを洗練させていく、そういう姿勢と風土がこの国には少し足りないのかも知れません。その逆=「動機は不純でテクニカル(=一見玄人っぽい振舞いに見える)だが、プロセスとフォローが実は稚拙」という現象は幾らでも見つける事が出来るのですが…。
もちろんそんな世の中の現象を嘆いていても始まりません。僕自身毎日海を隔ててコミュニケーションを取っているし、今やどこに住んでいても人種・言語が違っていても生産的な作業は幾らでも出来ますから、いずれ就業率も国籍別、国別に算出するのがナンセンスになる位労働環境も超流動的、超フラット化していくと思います。スーパーフラットならぬハイパーフラットに行きましょう、って「ハイパー」って言葉は何か胡散臭い上、「ハイパー」と「フラット」は矛盾してる?(笑)