ある本によると、宗教ですら人がそれを選択する理由は「信条そのもの」ではなく「帰属意識」なんだとか。確かに「自分探し」って「自分の居場所探し」とほぼ同じ意味で使われますね…。
このところ毎日何らかのコンテンツを更新しています。ハードディスクの容量が増えたので、今後アーカイブズコーナーを中心にコンテンツがどんどん賑やかになってくると思います。といっても、そんなに大量のネタがあるわけではないのですが(笑)。
Youtube その他の動画系SNSやポータルサイトを使ってより多くの方に見て頂く事はこの時代不可欠だとは思いますが、僕は「本当に興味のある方にしっかりと、きちんとした状態で」見て頂く事がそれ以上に大事なことだと考えているので、このtatsuyaoe.com では出来る限り質と目線をキープしてコンテンツを提供していきたいと思っています。そう、この「目線のキープ」というのは僕にとって大事なテーマで、こういったコンテンツが玉石混交&情報の交通が入り乱れた時代こそ、自分のオフィシャルサイトその他のホームグラウンドでの立ち位置やスタンスが重要なのではないかと思っているんですね。
SNSにしろポータルにしろ、価値を相対化する面白さ、フラットに扱える事のアナーキーさがあるのは画期的だと思うのですが、その相対化も慣れてくると刺激を感じなくなってきます。例えば、Facebook の僕のフレンドリストにもしオバマさんがいたとしても、さして驚きもない代わりににリアリティもあまりない。もちろん僕が偉人に見えるようになる訳でもない(笑)。それは自分の志向性や属性、共通性を饒舌に語る「説明要素」や「コレクション(もしくは飾り)」にはなっても(「○○を買った人は××も買っています」的な事)、その人固有の本質を完全に浮き彫りにするものではないんですよね(「○○は△△である」という事)。
(ただし冒頭に書いたように、人間はこの「社会的飾り」や「帰属意識」にとても弱いものです。そこを利用・悪用する知恵者のサービスやビジネスは枚挙にいとまがありません。社会心理学ではこれを「ソーシャル・プルーフ」(社会的証明)などと呼んだりしますね。)
本質の読み取りというのは、一度対象物と「対峙」しなければならない作業ですから、読み取る側も提供する側も、ある種の忍耐力やエネルギーが必要になってきます。そんなしんどいことをしなくても、SNSで自分達の説明要素を持ち寄って披露したり交換し合うだけで時間と場所は十分埋まっていきますし、そのレベルで繋がっている方が気が楽だとも言えます。”What you are” と向かい合う、自分をさらけ出すよりも、”What you have” や “Where you belong” でコミュニケーションを取る方をついつい選んでしまうものです。
僕は、オフィシャルサイトというのはこの”What you are”の方の役割を担っているんだと思ってます。なので、”What I am” に答える事が出来るような内容に近づけていきたいと思うと同時に、今のところ日本語版だけではありますが、このfindingsが結局のところ、どんな自分の作品よりも “What I am” を浮き彫りにしているような気もします。
PS:トップページに更新情報の為のRSSフィードリンクを作りました。ご活用頂ければ幸いです。