OE名義でのアンビエント・アルバム
昨年Captain Funk「Metropolis」をリリースした後、次の作品について3つ4つの方向性を考えて曲作りを進めていました。「Metropolis」のようなジャズ・フュージョン色の強い楽曲やDark Model作品のようなオーケストラ要素を用いた楽曲の制作も同時に進めつつ、長年構想していた「OE名義でアンビエント(環境音楽)作品を」というアイデアを形にすることに時間を割いていました。2000年代のOE作品や2018年にリリースした2枚のアルバム「New Classics Vol.1」「Vol.2」にもアンビエント的な楽曲が含まれていますが、そういった音楽でフル・アルバムを1枚作るとすればもう少し骨のあるコンセプトやストーリーを組み立ててから取りかかりたいと思っていたのです。それから2年経ち、昨年は他の名義で6枚アルバムを作ったこともあって、再び新鮮な気持ちでOEについて取り組み、一気に10曲を仕上げることが出来ました。
アルバムの詳細と発売日については、近くこのFindingsでご紹介します。お楽しみに!
終わりの見えない、壮大な「行動」テスト
ニューヨーク州、ニュージャージ州に自宅待機令(Stay-at-Home Orders)が施行されてから2週間経ちます。昼間の散歩やランニング、買い物などの外出は許可されていますが、街を歩く人の数はめっきり減りました。マスクを着用する人が劇的に増え、スーパーマーケットは店内に入れる人数が制限されて行列(しかも1.8メートル距離を空けて並ぶ)が出来るという、少し前には想像も出来なかった光景に遭遇しています。
(ちなみに「ロックダウン」という言葉はハリウッド映画的な仰々しさを感じるのであまり使いたくありません。あと、欧米で行われている自宅待機令やロックダウンを日本に当てはめて考える風潮には激しく違和感を覚えます。前回も書きましたが、日本と欧米では社会も人も別の惑星くらいに違う。根拠の薄い自己卑下は、ただの傲慢です。)
僕は今のところ風邪一つ引かず健康的な生活を送っていますが、ウイルス対策や衛生のために時間や手間を取られる事、外出や運動が思うように出来ない事など、普段とは勝手の違う生活を強いられることには苦痛を感じます。100%他人と交わらない生活を送ることは不可能ですから、これだけ感染者と死亡者が増えている、もはや地獄絵巻と化したこのエリアから、最後まで自分を守りきることが出来るのかという不安がないわけではありません。ただ、このウイルスとの闘いの生き残りを決める手がかりは地位、財力、武力ではないのはもちろん、メンタルの強さや知識、行政措置、そして(残念ながら)思いやりや愛情ですらなく、たった一つ、「その人の行動(挙動)」だけだと考えています。「具体的な行動ルールを決めてそれを機械的に、かつ徹底的に守れるかどうか」のテストを強いられているような感じですが、ウイルス感染は天災や飛行機の墜落の様な不可避な事故災害とも、またがんの様な病気とも違うわけですから、生き残りへの手がかりがあるだけまだましだと前向きに捉えるようにしています。
外出時のルール(「ソーシャル・ディスタンス」など)を除いて、僕がこの数週間家で欠かさず行っているのは、
1.帰宅ごとの手洗い、うがいに加えて顔洗い、家の鍵やスマホ、手袋など外出に携帯した物の消毒・清掃
2.外出着のまめな洗濯
3 お店で購入した物(食品からトイレットペーパーまで)のパッケージおよび中身の消毒・清掃
4.Amazonなどの通販で購入した物の外箱、パッケージおよび中身の消毒・清掃
5.(これまで通り)毎日バスタブに浸かってお風呂と洗髪。運動後のシャワー。
と、毎度「オークションにでも出品するんかい!」と突っ込まれる位に清掃しています。もちろんこれらに意味があるかどうかは説明出来ないし、僕も感染する時は感染するでしょう。とはいえ、誰に難癖付けられてもやめるつもりはないです(笑)。この行動パターンを今後半年間は続ける覚悟をしているので、結構手間と根性が要るなあと。アメリカ東海岸に住んでいて「家から出なきゃいいだけでしょ」って余裕かましている人がいるとすれば、それが半年や1年続く可能性、水道や電気などのライフラインが逼迫する可能性までは想定していないのでしょう。
Shut Up and Take Action
個人的に思うのは、「どこの国や機関でも手洗いを強く推奨するのに、なぜ顔や体全体を頻繁に洗う事や清潔にすることを推奨しないのか?」ということ。もちろん水が潤沢にない地域やバスタブのない家庭が沢山あるからというもっともらしい理由も浮かびますが、(アメリカに限定して)ぶっちゃけて言えば、「手洗いの習慣づけまでが限界で、それ以上の行動習慣は面倒臭くて誰も実践しようとしないから」だと思います。マスクをしない人が多かったのは、彼らの大半が雨が降っても傘をしないし持ち歩かないのと同じで、面倒臭いしカッコ悪いからです。「しない理由」を議論しても意味はないし、彼らを説得し、「行動」を変えることが出来るのは医学的な裏付けでも大統領のコメントや権威的機関の研究発表でもありません。これまた一つ、「深刻な恐怖」だけです。今回は彼らの「死ぬのが怖い」が(ついに)「面倒臭い」や「しない言い訳」に勝った、ということだと思います。
日本人は「怖がりな民族」と言われます。理由がどうあれ、「怖がり」ということに「恐怖を察知するタイミングが他人より早い」という事が含まれているのであれば、それを「行動するタイミングも早い」という利点に転化すれば良いのではないでしょうか?「随分前から恐怖を感じているのに、何も対策・行動できていない、進歩していない。他人や政府、メディアへの愚痴や文句ばかり言っている。」というのは勿体なさすぎる。今回のコロナウイルスの件に関わらず、少しでも不安や恐怖を感じることがあれば、「察知したらそれと同時に、黙って行動する」習慣をつけることをお薦めします。