次のアルバムが完成しました
『Metropolis』のリリースを前後して制作に取り掛かり、先週1枚アルバムを完成しました。パーカッションを使ったトラックばかりを収録した作品で、曲作りにあたりハンドクラップやストンプ(足を踏み鳴らす音)などのボディ・パーカッション、そしてタップ・ダンスのサウンドなども研究してみました。前回このFindingsを書いた頃はその後自分がAmazonでタップ・シューズを買うことになるとは想像もしていなかったですが(笑)。
今回の作品は一般リリースの予定はないのですが、アルバム用に制作したトラックの幾つかは将来のリリースに収録される可能性があるので、詳細は追ってお伝えします。一般リリースの3枚のアルバムを含め、今年はこれで6枚ほどアルバムを制作しました。来年もこのペースを守れるといいですね。
Captain Funk『Oceans』アルバム・ダイジェスト
今年6月に発売されたCaptain Funk『Oceans』のアルバム・ダイジェストをYoutubeにアップしました。今年はそれぞれのアルバムを予定通りにリリースをすることに集中していたので、発売後のフォローアップにはあまり時間を割けませんでした。『Metropolis』と順番が逆になりましたが、ここで今一度『Oceans』の内容を振り返って頂けると嬉しいです。
ジバラ一色(自腹だらけ)の人生を歩むこと
久々に一冊の本を紹介します。『ブラックスワン』や『まぐれ』などの著書で有名なナシーム・ニコラス・タレブの『Skin in the Game』の翻訳本『身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』が出版されました。実はこの本はまだ読んでおらず、タイトルが僕の普段考えている事を代弁しているように感じてピンと来たという、それだけの理由で便乗させてもらっています。なので、内容は僕が予想している事とは大きくズレがあるかも知れません。ただ胸を張って言えることは、ランダムハウス社(翻訳版はダイヤモンド社)にこの本を出版し、大々的に宣伝してもらっているタレブ氏よりも、僕の方が確実に身銭率が高いだろうということです(笑)。
以下の話は、僕の様な生き方を選択するごく少数派の人達の気づきや勇気に繋がればと思って書きますが、身銭を切ることを皆さん全員に勧めるわけでは全くありません。その点ご了承下さい。
僕は音楽レーベル&出版(会社)のModel Electronicを立ち上げて以降、自分の生活は言うまでもなく、この事業にかかる全てのお金を自腹で賄っています。家賃・オフィス代にはじまり、音源&原盤制作にかかるコスト、毎回のリリースのCD製造コストや荷造運賃費などの変動費、プロモーション費用、人件費、弁護士・会計士費用、移動費など、他人に出費や出資などの援助をしてもらった事がありません。渡米する際のグリーンカード(永住権)取得のための弁護士費用や渡航費、マンハッタンのコンドミニアムに住む費用なども、当然ながら自分の預金口座から支払い、小切手を切りました。僕の取得した永住権は現地のスポンサー(雇用主)の確保や推薦を必要としない分、渡米して以降も日本にいた時と同じく自営&自腹生活です。定期的に給料や手当を振り込んでくれる事務所もないし、何の雇用契約もない。基本「もらう」よりも「払う」ばかりの人生です。それでも世界中からゲスな拝金主義者(笑)が集結するこの国で、生き馬の目を抜かれて野垂れ死ぬこともなく生きています(少し気を緩めると、それは十分起こりえます)。
僕が生まれ育った家は裕福ではないし学歴もありません。手狭な社宅に住むサラリーマン転勤族の中流家庭から息子を医者や資産家の子息が集まる私立の進学校に通わせ、東京の大学の受験をサポートするのは両親の負担や犠牲も並大抵ではなかっただろうと思います(そういった進路は僕が希望したからであって、親が無理強いしたわけではありません)。僕もそれが痛いほど伝わり、成人して以降は、自分の希望を叶えるために(たとえ親であっても)「他人に金銭的な負担や援助をしてもらうこと」への罪悪感を強く感じるようになりました。金銭的な意味だけでなく、人の世話になったり安易に借りを作ることに対して強烈な嫌悪を抱き、拒絶するようになったのは、その頃の思いが下地になっているように思います。
その後アーティストとして幾つかのレーベルのお世話になり、2005年に車を売り貯金を切り崩して会社/レーベルを設立、その後渡米を経て15年ほどこのやり方で生きてきて、キャリアや仕事の面だけでなく、資金の面でもリスクを背負う事の大事さ、そこから得られる「覚悟」の心地良さを日々噛みしめています。ちょっと「成り上がり」的な乱暴な言い方をすれば、自分から進んでリスクを背負い、事業に必要な様々なリソースや権利を自分で所有&コントロールしていれば、他人に(無駄に)頭を下げる必要もなく、また後から恩を着せられたり責められることもない。自分が納得の行かないことや嫌いなものには何の躊躇もなくNoと言える。この「覚悟の見返りとしての自由」こそが自分が求めていた、一つのゴールでした。人によっては絶対味わいたくないであろう「ジバラ(自腹)一色の人生」こそが、自分にとってはバラ色の人生だった、と言うとシャレに乗っかりすぎですが(笑)、しっくり来るのです。
世間一般に音楽の仕事や自営業は「不安定だ」とか「将来の保証がない」と見なされる傾向がありますが、自分でリスクを選べない=何か困ったことが起こった時に自分で対策を打てない、つまり「いざという時の責任のかじ取りが出来ない、決定権がない」ことの方が、実はずっと不安定ではないでしょうか。どんな不況が来ても、どんな失敗をしてもクビにならず、どんなに経営者が無能でも倒産せず、肩たたきも定年退職も一切ない会社とかがこの世に存在するのなら話は別ですが、そんな夢のような話は100%ありません。僕の様な考え方が超少数派なのはよく理解していますが、自分のいる世界以外のビジネスを十把一絡げで頭ごなしに不安定視する人は、自分の職業や人生において何が安定して、何を保証されていると思うのか、またその代償として何か失っているものはないか、その仕事で何を資産として残せるのか、その辺りをじっくり検証してもらいたいと思います。
とはいえ、今日の話はとても個人的なものです。そもそも、他人のお金(OPM=Other People’s Money)を使うこと自体が悪いわけではないのです。世の中はスポンサーや投資家、銀行のお金を使わないと立ち上げることすら出来ないプロジェクトで溢れかえっていますし、そうしたOPMを賢く使うことで実際に社会を前に進める牽引力となった事業は数えきれないほどに存在します。ただし、他人のお金を使うことへの自覚が薄いと、お金に関して大きな勘違いを起こしやすいのは確かです。身銭を切ったことがある人が起こすプロジェクトと、会社や資本家、銀行のお金ありきでしか動いたことのない人が考えた事業とでは、実現の可能性だけでなく、その耐久性や信頼性も全く異なってくるのは容易に想像できるでしょう。
残念ながら日本人も関与していた、ここ最近のMITメディアラボのスキャンダルやWeWorkの失態などを見ていると、他人のお金を使うというのは麻薬の様に常習性があって、断ち切れないものなのだろうなと想像します。その両方とも縁のない人生を選択してきた自分を幸せに思います。