次回から5回に分けて、OE「New Classics Vol.1 & 2」リリースにちなんだ僕のインタビューをお届けする予定ですが、その前に一つDark Modelの話題を。このところYotubeにアップしているDark Model「Saga」収録曲から、「Danse Macabre (Dance of Death)」のバックストーリーを紹介しておきます。
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Dark Model 「Dance Macabre (Dance of Death)」バックストーリー
アルバム「Saga」に収録されているこの曲は、ミステリアスで不穏な雰囲気のある、クワイア(合唱)をフィーチャーした、疾走感のあるトラックです。僕がこの曲のスケッチを始めたのは実は今から5,6年前、Dark Modelのファースト・アルバムに取り掛かってすらいない頃でした。最初に作った幾つかのバージョンは、「Saga」に収録されているものよりもずっとテンポの遅い曲でした(BPM120位)。また、クワイア・サウンドを使うことは当時考えておらず、ストリングスのオスティナートを下敷きにフルートやクラリネットなどの木管楽器が主旋律を奏でるという、比較的シンプルな構成のインストゥルメンタル曲を想定していたのです。
ただ、この初期のバージョンはどこかひねりやパンチが足りないなと感じていました。ホラー映画のスコア/サウンドトラックのような、バックグラウンド・ミュージック然とした感じで終わらせたくはなかったので、曲に何らかのインパクト(衝撃、衝動)や「ショック」を決定的に与えてくれるようなアイデアが思いつくまでは、この曲を放置しておこうと決めました。その後Dark Modelのファーストアルバムを制作している最中は、結局この曲に手を付けなかったように記憶しています。
そこからかなり時間を経た一昨年の春、「Saga」のための曲を幾つか同時進行で制作している時になって、この曲を形作ることになる重要なアイデアが一気に頭に浮かんで来たのです。そのアイデアとは、中東風の主旋律、重層的なクワイア、マッシブなビートと唸るベースの組み合わせ、そしてバロック的なドロップ(ブリッジ)の部分などです。それら曲の要素が決まってからは、この曲の制作の再開からラフミックス終了までにはさほど時間がかかりませんでした。「Inferno Suite」や「Rage and Redemption」など、「Saga」の他の収録曲に集中的に取り組んでいる中で生まれた、幾つかのアイデアやストーリーの断片が、この曲を具現化し、アルバムのパズルの1ピースとして違和感なくフィットするレベルまで引き上げるのに貢献してくれたと言えば良いでしょうか。先に完成したそれらの曲がなかったら、「Danse Macabre」が完成に漕ぎ着けることはなかったと思います。
ところで、皆さんの中にはこの曲のタイトルを見て、カミーユ・サン=サーンスの同名曲からインスパイアされたと考えたかもしれませんが、そうではありません。もともとこの曲のタイトルとして僕が考えていたのは、「Death Wish」というものです。しかしそのタイトルが、1974年の映画「狼よさらば」(もしくはブルース・ウィリスによる最近のリメイク)を彷彿させすぎるきらいがあるので、このタイトルのアイデアは却下しました。静かな狂気を帯びたチャールズ・ブロンソンの復讐劇は、それはそれで一見の価値がありますが、僕がこの曲で引き出したい(宗教的な)荘厳さや疾走感とは随分イメージが異なるものです。そしてふと、「Dance of Death」が浮かびました。当初はブルース・リーの1978年の映画「Game of Death」のタイトルをちょっともじったみたいに聞こえましたが、この曲の持つ激しく、世紀末的な雰囲気によくマッチしていると思ったのです。とはいえ、少しありきたりな感じもしました。しかも、Dark Modelのファーストアルバムには既に「Dance of Wrath(怒りの舞)」というタイトルの曲があるので、言葉遊びの様な印象は与えたくないなとも。
(ここまで読んでお察しかと思いますが、僕にとって曲のタイトル付けは毎回難儀で、曲を完成させること以上に手間取ることもしばしばです。タイトルが曲以上にインパクトを与えることもあるし、インスト曲にとって、タイトルは文字で説明する唯一の要素ですからね。さらに、英語のネイティブスピーカーが見て違和感を持ったり興ざめするようなタイトルを付けてしまうと、それだけで聴かれるチャンスを失ってしまうこともあります。)
そこで更なるひねりを求めて、僕は文学を専門としているアメリカの友人に相談しました。このトラックを聴いた後、彼はこのタイトルのフランス語バージョン「Danse Macabre」はどうかと提案してきました。そして「この言葉は死の普遍性に関するフランスの中世後期の寓話に基づいたアートのジャンルを指すもので、しかもこのフレーズの起源は、このフランス語バージョンの方だと思うよ。」と教えてくれたのです。私は「Dance of Death」が一般名詞的なフレーズではなく、きちんと語源を持つ固有名詞的なフレーズだったことを知らなかったのですが、このフランス語バージョンの響きが気に入った上に、(色々と調べてみると)この寓話とこのトラックの間にかなり共通の世界観があることを発見したのです(ご興味のある方は、英語、日本語のウィキペディアその他をチェックしてみて下さい)。
ですから、僕は最終的に「Danse Macabre」をタイトルとして選びましたが、この曲のオリジナルのコンセプトやインスピレーションは、「Danse Macabre」の語源やそれにインスパイアされた作品とは全く違うところから来た、というのが実際のところです。
下記にこの曲を説明した幾つかのレビューを紹介します。音楽と共に楽しみ下さい。
「『Danse Macabre (Dance of Death)』はテクノ的なエナジーとグルーヴィーなヴァイブを持った、重層的なトラックだ。コーラルの合唱がリフレインの間を紡ぎ、力強いブレイク・ビートとシンクロする形で、曲を構成していく。」
「『Danse Macabre (Dance of Death)』は、エキゾティックなメロディと甲高く鳴るシンセのラインを持つ、傑出した曲である。この曲は、クールなビデオ・ゲームのサウンドトラックにもよく似合いそうだ。」
「コンポーザーズ・ブロック」と「セレンディピティ」について
多くの作曲家が「コンポーザーズ・ブロック」(作曲に行き詰まること。作家のスランプを表す「ライターズ・ブロック」から来た言葉だと思います)に陥るという話はよく聞きます。コンポーザーズ・ブロックを乗り越える方法は沢山あると思いますが、僕は「セレンディピティ」、すなわち、思いがけない発見の効力を活用することをお薦めします。そのためには、僕が「Danse Macabre」でそうしたように、今あなたが取り掛かっている曲にタイトな締め切りがない限りは、いったん放置して、他の何か別のものを作曲するのが良いかと思います。
ただ、「セレンディピティ」をタイトルにも含めた上で言うのも何ですが、僕はこの言葉の正確な定義にこだわっていません。僕にとっては実際に創作する上で役に立つひらめきを得るのが大事なのであって、誰がこの言葉をどう定義したかとか、誰の解釈が正しいかということを知ったところで、自分の創作にとってプラスになるわけではないからです。例えば、時折英語でも「探していない、良いものに出会う」という定義を見かけますが、これは僕が捉えているニュアンスとかなり違っています。あまりストーリーを覚えていないんですが、映画の「セレンディピティ」のようなロマンティックなニュアンスとも違うと思います(笑)。
個人的には、セレンディピティは「偶発的なひらめき」というよりは、「潜在的にはつながる可能性のあった要素同士が何かのきっかけで結びつき、顕在化すること」だと捉えています。もともと何かのテーマや課題に対して時間をかけて探究した結果生まれた「問題意識」が蓄積されていない限り、頭をよぎったアイデアを「ひらめき」だと感じ取ることはないのですから、偶然を呼び込むというよりは、「眠っていた『必然』を呼び起こす、具現化する」というイメージの方がしっくり来るのです(今思い出しましたが、「創発」という言葉が近いかも知れません)。
だから、セレンディピティに恵まれるために大事なことは、ランダムに本を読むとか音楽を聴く、様々な情報を浴びる、多くの人に会う、という(自分の外にある)「ランダム性(確率)」や「多様性」を頼りにするのではなく、
「(眠っている必然を呼び起こせるように)自分が抱えている課題に対して、十分な量の思索や試行錯誤を重ねておく。問題意識を積み上げておく。」
ということだと考えています。何かを「生みたい、生まなければ」「見つけたい、見つけなければ」という課題意識・渇望・動機を抱えて能動的に行動していない状態、つまり何も「生みの悩み」のない状態でどれだけ外部の情報を浴びても、偶発も必然も意味を持たない。これは僕個人の勝手な解釈かも知れませんが、セレンディピティにおいて問題なのは、自分の「外にあるもの」ではなくて、「内にあるもの」「内なる声」だと思うのです。
そういう意味で、コンポーザーズ・ブロックを打開するためにセレンディピティを活用するには、「音楽を作る行為自体をやめない、手を休めない」必要があると思います。次に取りかかる曲を必ずしも完成させる必要はなくて、手を動かし続けることを習慣にすることが大事なのです。頭の中がせっかく「音楽の問題を解いて、答えを生み出す」という、能動的・生産的なモード(態勢)でドライブがかかっているのに、モード自体を切り替えてしまうと、必然を呼び出すためのけん引力である動機やフットワークが後退してしまいます。
もし音楽制作を中断せざるを得ない場合であっても、ブログを書くのであれ、料理であれ、少なくとも何かクリエイティブな作業を継続しておきましょう。単に本を乱読するとか、SpotifyやYoutubeで音楽をランダムに聴きまくるとか、受動的なモードに入ってしまうと、本来持っていた自分固有の「渇望の根源」を呼び起こすのがかえって難しくなることがあるように思います。適度な気分転換はもちろん必要ですが、自分が作っている曲と似たタイプの音楽を聴くとか、他のアーティストの曲を「乱聴」するというのは、一見着想のヒントを得られるように見えるけれども、コンポーザーズ・ブロックを打開する方法としては、個人的にお薦めしません。表層的には同じような音楽に聴こえても、その音楽とあなたが作る音楽は、「内にある要素」が違う。すなわち、動機や環境(ある時は国も人種も信じている宗教も)だけでなく、作品を完成させるまでのプロセスも全く異なるからです。さらに言うと、クリエイターが目指すことは作品を捻り出すことであって、物知りになることではないですしね。
結論としては、創作においてセレンディピティを活用する最も健全な方法は、「セレンディピティをあてにしないで、まずは創り続ける」ということではないかと思います。外部の情報から手がかりや着想を得ようとする「下心」を断って、まずは別の曲作り(創作)に移る。そして、その量をこなす。そうすれば、またどこかのタイミングで、打開の糸口が水中から浮かび上がってくるように現れることがあるはずです。
とはいえ、時間には限りがある
曲の提出に締め切りがある、アルバムの他の曲は仕上がっているのに1曲だけ完成していない!そんな時は、セレンディピティなどと悠長なことは言っていられないですよね。そういう時に自分ならどうするかについては、またの機会に説明をしたいと思っています。
冒頭に書いたように、次回からは僕のインタビューを掲載していきます。毎週火曜日と金曜日の朝(日本時間)にアップする予定で考えていますので、お楽しみに!