独立記念日(7月4日)にマンハッタンで盛大に行われる花火の音を聞くと、その年の折り返し地点に来たことを感じます。今年、特にここ最近数ヶ月はアメリカのみならずヨーロッパ、アジアで様々な異変が次々と起こり、最早「平時」と呼べないような状況に時代が向かっているような気もします。緊張感を持って常に事態の行方を注視し対策しながら、いかに平常心を失わずやるべきことに集中できるか、そんな難しいバランス感覚を日々求められているように思うのは僕だけではないでしょう。
さて、Dark Modelのアルバム制作の方も折り返し地点を過ぎました。既に20曲程度のストックが出来て、現在作品の全体像を考えながら曲のチョイスやアレンジの見直し、追加で必要な曲の検討などを行っています。Dark Modelの場合、曲によっては着想からフィニッシュまで丸々1ヶ月、もしくはそれ以上要することがあり、途中で路線変更したり挫折するとリカバーに難儀するのですが、このプロジェクトに関しては特に時間を惜しまないで、自分がベストだと思えるものを皆さんにお聴かせ出来るようにしたいと考えています。
最近の楽曲ライセンス状況
先日Topicsのページで紹介したように、ここ最近も僕の楽曲を様々な映画、広告キャンペーンなどで使用して頂いているようです。自分でも把握しきれていない事例が多々あるのですが、直接報告を頂いたものの中では、来月全米で公開されるソニー・ピクチャーズのアニメーション映画 「ソーセージ・パーティー」が印象的でした。この映画は「きかんしゃトーマス」で有名な監督レッグ・ティアナン、刺激の強いおバカ映画を大得意とするセス・ローゲン(一昨年大いに物議を醸した「ザ・インタビュー」やザック・エフロンとの共演による「ネイバーズ」など)らの脚本による、本格的にお下品なコメディ(笑)だとのこと。ポスターからもそれは十分分かりますよね。
このところDark Modelを中心にシリアスな曲を作ることが多いので、実を言えばこういうコメディ映画に自分の曲が使用される状況があまりピンと来なかったんですが、初期のCaptain Funkの楽曲は様々なコメディタッチの映画や番組で今もなお使用されているし、本来自分の音楽にとって決して相性の悪いジャンルではないんですね。そんなことを思い出させてくれたりもするプレイスメント(楽曲ライセンス)の事例でした。
「直情型テクノロジーアート」 -NYチェルシーのギャラリーから-
自分の活動報告以外にも色々とお伝えしたいことがあるのですが、なかなかまとまった時間が取れないので今日は一つだけ。マンハッタンだけでなくニューヨーク、ニュージャージー周辺の美術館、ギャラリーには相変わらず時折足を運んでいますが、最近見たエキシビションで印象的だったのはチェルシーにあるデイヴィッド・ツヴィルナー・ギャラリーで展示されていたJordan Wolfson(ジョーダン・ウォルフソン)の作品「Colored Sculpture」です。
ワイヤーに吊られ縦横無尽に引きずられまくる、Mad Magazineのキャラクター(Alfred E. Neuman)と「チャイルド・プレイ」のチャッキーを足して二で割ったようなこのスカルプチャー/ロボット、時々ビジターの我々をギョロっと睨みつけてくるのです。一見ランダムに見えるスカルプチャー(を操るワイヤー)の動きは巧みにプログラミングされ、彼の目は顔認証技術を使って実際に我々の立ち位置に反応して動くように出来ているとのこと。ワイヤーの奏でる無機質に騒々しいノイズと時折再生されるノスタルジックな音楽がさらに空間の異常さを引き立たせ、見ているこちらは人生の悲哀をかいま見せられたようで何とも痛々しいというか、胸を締め付けられるような思いにかられなくもありません(笑)。「これはアートなんかじゃない、オレの人生だ!」というYoutubeでの視聴者のコメントにも納得が行きますね。
「直情型テクノロジーアート」という言葉が存在するかどうかは分かりませんが、いわゆる「メディアアート」の様に、アートにテクノロジーを持ち込むことで人間の知性(インテリジェンス)に語りかけるタイプの作品は数多くある一方で、よりショッキングに、よりプリミティブに、こちらの感情を揺さぶる手段としてテクノロジーを活用するアプローチは意外と少ないのではないかと思います。メディアアートも悪くはないけれど、「こういうテクノロジーの使い方ってスマートでしょ?考えついたオレって賢いでしょ?」的な、インテリにありがちな自己顕示欲が控えめながらも背後にちらつく時があって、内輪受けやインテリ受けを超える破壊力に乏しいなと思うことが往々にしてあります。アメリカを含め、オーディエンスや場所によってはインテリジェンスや知恵比べ的な要素を(エモーショナルな訴求力を欠いたまま)前面に打ち出したものは敬遠される、というより受け手にはピンと来ずにスルーされる傾向にあるので、表現者としては特にその辺りを意識しておく必要があるかも知れません。
テクノロジーを駆使して音楽を作る身として、このJordan Wolfsonの作品からインスパイアされること、思い出させてくれることが色々とありました。彼の2014年の作品「Female Figure」も一緒に紹介しておきます。