全てはここから
オオエのエレクトロニック・ミュージック・プロデューサーとしてのキャリアはここから始まった。1995年、彼はアカイのサンプラーS3000を購入し、手元にあったラップトップ・コンピューターApple Powerbook 145Bを使ってダンス・ミュージックの作曲を開始する。趣味としてではなく、プロのDJ/ミュージシャンになるために。実のところ、彼が当初描いたマスター・プランは、自分の好きなダンスミュージックのクリエイターが作る楽曲をリリースするレコード・レーベルを自分で立ち上げることだった。とはいえ、日本で、もしくは日本から、そういったクリエイターをどう探せばいいのかについては全く見当がついていなかったし、それ以前に、彼は自分の夢を実現させるのに十分な資金、つまりヴァイナル(アナログ)のレコードをプレスする資金を持っていなかった。そこで、彼はまず自分で音楽を作り、他のレーベルに出してもらうというアイデアを考え付いた。そこでダンス・ミュージックの現場を学びながら、将来自身のレーベルを立ち上げるのに必要な資金やネットワークを徐々に揃えていけばいいじゃないかと。
早速、最初に作った4,5曲の「ファンキーな直球テクノ」トラックをお気に入りの日本とヨーロッパのレーベルとダンス・ミュージックの雑誌に送ってみた。日本のレーベルや雑誌からは何のフィードバックももらえなかったが、驚くことに、ACV(イタリア)やR&Sレコード(ベルギー)など、オオエがデモを送った当時ヨーロッパで勢いのあったテクノ・レーベルの殆どからは、「君の音楽が気に入った」との連絡が来た。
ACVからのフィードバックは、極めて率直でシンプルなものだった。何の前置きもなく、彼らは最初の12インチ・シングルをリリースするための契約書をファックスで送ってきたのだ(「eメールにPDFを添付」などという手法が当たり前になるのはまだずっと後の話)。数日間慎重に考えた上で、オオエは70、80センチはある、その長い契約書のファックスにサインをして送り返した。初めての「レコード契約」に舞い上がりつつも、その契約がいつ、どういう形で具現化するのかについては、疑問が残されたままだった。
それから半年後、1996年の春の終わりに、オオエは仕事帰りに立ち寄ったHMVの新宿店で、自分のデビュー12インチに図らずも出会うことになる。東京のレコードショップやナイトクラブを通じて、自分の名前が日本のテクノDJの間で浸透しはじめていることに気づくまでには、その後さほど時間はかからなかった。
レビュー
最近Nagai Eriに続きACVでのリリースの話を耳にするが、これもACV傘下のレーベルから。打ち込み歴たった2か月で作ってしまったというまさに勢いの一枚。既に完成された(?)変態性を発揮している。そろそろこういう音をリリースする日本のレーベルが出てきてもいいんじゃないかな?Subvoiceに期待(笑)
(Q’HEY, Groove 96年6月号)
Tracklist
A1. Dazzlin’
A2. Scatter Brain
B1. Bump High
B2. Tomorrow
レーベル: ACV/Chicago Style
カタログ番号: CS-005
リリース年: 1996
関連リリース
Tatsuya Oe – Copa Feelin’ (CS-010) – 1997
A1. Copa Feelin’
A2. Copper
B1. What is Chicago (House)
B2. Lament